この決断で決まったのは、民営化へ踏み出すことではなく、郵便・貯金・保険を分けないという一点であった。行政改革会議は「官から民へ」「国から地方へ」を掲げながら、郵政については三事業一体として新たな公社により実施すると、経営形態まで指定している。分けるか否か、国の手を離すか否かという二つの問いのうち、答えが出たのは前者だけで、後者は独立採算と企業会計を先に入れることで置き換えられた。130年余り国の直営で積み上げた全国一律の窓口網を、統括したまま企業会計の上へ載せ替えるという順序だったとみられる。
もっとも、先送りにした問いは1年半で戻ってきた。2004年9月の基本方針は、公社が一体で抱えた機能を窓口サービス・郵便・郵便貯金・簡易生命保険の4つに割り、それぞれを株式会社にすると決める。統括する装置は純粋持株会社へ移り、公社そのものは2007年10月に解散した。ただし、割り方はその後も揺れている。2012年には郵便事業株式会社と郵便局株式会社が1社へ戻り、ユニバーサルサービスの範囲は郵便だけでなく貯金と保険にまで広げられた。三事業は一体で扱うほかないという公社化の前提を、公社を割ったあとの制度がむしろ引き受け直したのではないか。