1957年、創業者の佐川清氏は京都で『佐川組』という土木建設業を営みながら、京都〜大阪間で荷物を運ぶ飛脚事業に参入した。徒歩から始まり、自転車、オートバイへと運搬手段を切り替え、輸送効率を引き上げた。1961年にトラックを導入し、1962年6月に有限会社佐川を設立、1965年11月には佐川急便株式会社を設立して本格的なトラック運送事業者として再出発した。当時のトラック輸送業界では、西濃運輸のように大企業向けの大口荷物を定期便で運ぶ事業者が主流で、効率の悪い小口荷物を扱う運送会社はほとんどなかった。佐川清氏は飛脚由来のビジネスモデルを踏襲し、企業向け小口配送を相場より高めの料金で請け負う方針を選んだ。 [1][2]
当時の小口配送はBtoBの法人需要が大半で、ヤマト運輸が個人向け宅急便を発明する1976年までは、企業の小口荷物市場に積極的に参入する競合がほとんどなかった。輸送料金が運輸省の規定する公定料金を超えるとして行政から問題視されたが、顧客企業からの納期厳守への評価がそれを上回り、佐川急便は関西を起点に取扱量を伸ばした。1973年に売上高100億円を突破し、1975年にはトラック1,000台を稼働する関西有数の地域輸送会社へ拡大した。佐川急便事件で揺れる以前の佐川急便を、業界後発の小口配送専業として定義づけた創業期の事業設計である。 [3][4]
1974年、佐川急便は東京地区への進出のため渡辺運輸を合併し、子会社『東京佐川急便』を設立した。トラック運送業は運輸省の許認可制で新規参入が困難なため、認可済みの地域運送会社を子会社化し、全国の路線網を組み上げる方針に切り替えた。佐川清氏は全国を9つの地域ブロックに分割し、それぞれの地域子会社が独立採算で損益を負う『ブロック制』を採用した。本社から地域子会社への上納金を毎期一定額確保する一方、地域子会社の業績向上分はその地域に還元する仕組みで、地域子会社のドライバーには成果主義の動機が組み込まれた。本社・地域子会社・現場ドライバーの3層構造の上に佐川急便のBtoB小口配送網が成立した。 [5][6]
地域子会社の現場では、1980年代までにセールスドライバー制度が定着した。ドライバーは配送業務と同時に企業顧客への営業も担い、営業成績がそのまま報酬に直結する仕組みだった。1980年代の佐川急便の中途入社1年目の月収は40〜50万円程度、成果が出れば月収100万円も珍しくない高給だったが、その代償は長時間労働だった。当時の佐川急便のグループ会社幹部は『スピード違反や駐車違反をせざるを得ないような雰囲気。とにかく馬車馬のように働きました。1日15時間労働なんていう日もありました』[引用元](日経ビジネス 1992/3/2)と社内の実態を語った。一方で1987年には運輸省が道路交通法違反の横行を理由に佐川急便グループ各社を一斉査察し、労働省も労働基準法違反で是正勧告を出した。儲かる小口配送モデルの裏側で、行政との緊張関係も常態化した。 [7][8][9]
1983年に佐川急便は売上高2,000億円を突破し、従業員約10,000名、トラック約7,000台、218支店を擁する規模となった。なかでも東京佐川急便はバブル景気下のアパレル企業の物流需要を捉え、1983年時点で年率30%の事業拡大を遂げ、大口顧客の45%をアパレル企業が占めた。同年には品川区勝島でアパレル向け物流センターの新設に76億円を投資する計画を発表した。アパレルは流行り廃りが激しく小口の荷物も多いため、東京佐川急便のような後発企業が参入しやすい構造があった。本社・地域子会社・現場ドライバーの3層構造と高単価小口配送の収益性が結びついた佐川急便の急成長期にあたる。 [10][11][12]
1992年2月、東京地検特捜部と警視庁が東京佐川急便に対する合同強制捜査に踏み切った。東京佐川急便の渡辺広康元社長と早乙女両常務は、政治家・反社会的勢力に対する数千億円規模の献金疑惑が表面化し、商法違反の特別背任で起訴された。渡辺氏が献金に踏み切った背景は複数の説があり、佐川急便の近代化を狙ったとも、創業者の佐川清氏の経営から独立を図ったとも言われる。本社から地域子会社への上納金の増額要求や、過酷な労働環境などグループ内の構造問題が顕在化し、渡辺氏は佐川清氏を翻意させられないと判断したとされる。違法な資金供与で東京佐川急便の信用は失墜し、債務保証していた5,000億円が回収不能となるなど、グループ全体の財務基盤が揺らいだ。 [13][14][15]
東京佐川急便事件を受けて、創業者の佐川清氏は1992年に会長を辞任し、表舞台から姿を消した。1957年に京都で飛脚事業を始めてから35年、佐川清氏個人が一代で築き上げた佐川急便は、創業者の退場とともに約8,000億円の有利子負債と社会的信用失墜という2つの負債を抱えて1990年代に入った。創業期の高単価BtoB小口配送モデルそのものは収益性を保ったが、創業者の佐川清氏が他者の関与を退けた経営によって積み上がった地域子会社への締め付け、ドライバーの長時間労働、政治家・反社会的勢力との癒着という構造問題が、ここで一斉に経営課題として表面化した。佐川清氏の長男である栗和田榮一氏が1992年に佐川急便本社の社長に就任し、グループの再建を引き継いだ。 [16][17][18][19]
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|---|---|---|---|---|
| 1957〜1991年飛脚事業から東京佐川急便事件までの非上場急成長期 | 佐川急便を設立 | ★ | ||
| 京都自動車興業を設立 | ★ | |||
| 佐川自動車工業を設立 | ★ | |||
| 佐川航空を設立 | ★ | |||
| 佐川コンピューター・システムを設立 | ★ | |||
| 翼運輸を子会社化 | ★ | |||
| 佐川急便有限公司を子会社化 | ★ | |||
| 1992〜2016年8,000億円負債返済と内部派閥整理を経た持株会社化 | 東京佐川急便事件と創業者・佐川清氏の退場 1992年、東京佐川急便グループの中核会社である東京佐川急便が政治家・反社会的勢力へ数千億円規模の債務保証を行っていた疑惑が表面化し、東京地検特捜部と警視庁による合同強制捜査に発展した。渡辺広康・同社元社長と早乙女潤元常務は特別背任容疑で起訴され、創業者の佐川清氏はグループ会長を辞任して表舞台から退いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 渡辺広康元社長らを特別背任容疑で摘発 | ★★ | |||
| SAGAWA EXPRESS VIETNAM CO., LTD.を設立 | ★ | |||
| 創業者派閥のクーデター未遂と栗和田榮一氏による経営権掌握 2000年6月、佐川急便の取締役会で創業者派閥が栗和田榮一社長の解任動議を提出し、栗和田氏はいったん解任を受け入れたものの、即座に反撃の人事と寝返り工作を仕掛け、同日中に自らの社長再任を可決させた経営判断。16日後の株主総会で創業家派閥の代表取締役2人は取締役の座を失い、代表権は栗和田氏1人に集約された。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 同日中に栗和田榮一氏の社長再任を可決 | ★★ | |||
| 保利佐川物流有限公司(現・佐川急便国際物流(深圳)有限公司)を設立 | ★ | |||
| 栗和田榮一 | 純粋持株会社体制へ移行しSGHDを設立 | ★★ | ||
| 栗和田榮一 | 佐川急便から佐川グローバルロジスティクスほか10社の株式を譲受 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | SG HOLDINGS GLOBAL PTE. LTD.を設立 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | アマゾンジャパンとの宅配取引縮小と配送単価維持戦略 2013年、SGホールディングス傘下の佐川急便が、ネット通販最大手アマゾンジャパンとの宅配契約について取扱個数を絞り込み、4月から実質的に取引を中止した経営判断。荷物量を追う数量至上主義から距離を置き、同時期に進めた法人向け配送単価の引き上げ交渉と一体で進めた収益構造改革であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 町田公志 | スリランカのEXPOLANKA HOLDINGS PLCを買収 | ★★ | ||
| 町田公志 | 日立物流と資本業務提携契約を締結 | ★★ | ||
| 2017〜2025年東証一部上場後のEC追い風と海外M&Aによるグローバル物流化 | 町田公志 | 創業60周年に果たした東証一部上場——2017年最大規模のIPO 2017年12月13日、佐川急便を中核とするSGホールディングスが、創業60周年の節目に東京証券取引所第1部へ新規上場した経営判断。初値は公開価格1,620円を17%上回る1,900円をつけ、初値ベースの時価総額は約6,083億円、調達額は1,276億円と、2017年に上場した銘柄では最大規模となった。 詳細を読む | ★★★ | |
| 荒木秀夫 | 上海虹迪物流科技有限公司を買収 | ★ | ||
| 栗和田榮一 | 東京証券取引所プライム市場に移行 | ★ | ||
| 松本秀一 | 丸和運輸機関との競合TOBを制したC&Fロジホールディングスの買収 SGホールディングスは2024年5月31日、食品低温物流大手のC&Fロジホールディングスに対し、1株5,740円・総額約1,237億円のTOB(株式公開買付け)を実施すると発表した。丸和運輸機関の持株会社AZ-COM丸和ホールディングスが先行して仕掛けていた1株3,000円のTOBに、松本秀一社長が対抗提案で応じた経営判断であった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 松本秀一 | Morrison Express Worldwide Corporationを買収 | ★★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(SGホールディングス)