日本の郵便制度は1871年[1]、前島密の建議により新式郵便として始まった[2]。翌1872年に全国実施、[3]1873年に郵便料金の全国均一制を導入した。[4]離島や僻地でも都市部と同じ料金で手紙を届けるこの原則は、ヨーロッパ諸国に倣ったものだが、日本では近代国家統合の手段として特に重視された。全国均一制は現在に続くユニバーサルサービス義務の原型であり、民営化以降も郵政事業の制約条件として経営を縛り続ける制度設計だった。前島が発案した郵便事業は、国家統合と情報流通を同時に担う明治政府の近代化政策の一部であり、以後150年以上にわたり日本の公共サービスの骨格をなした。民間金融や民間物流が届かない領域を補う仕組みはここで原型が固まり、戦後の郵便貯金・簡易保険の全国展開にも引き継がれた。
1875年に郵便為替事業と外国郵便、続いて郵便貯金事業が創業し、[5]1916年には簡易生命保険事業が加わり、[6]郵便局は手紙・貯蓄・保険を一括して扱う複合窓口になった。1885年に発足した逓信省が戦前の郵政事業を所管し、[7]1892年に小包郵便、[8]1911年に速達郵便、[9]1926年に郵便年金事業を順次追加した。[10]戦後は1949年の二省分離で郵政省が逓信省から独立し、[11]復興期の国民貯蓄動員の担い手として郵便局網は一段と拡大した。全国津々浦々に広がった郵便局は、地域の行政窓口としての機能も兼ね、公共サービスの末端拠点として長く役立った。民間金融や民間物流が届かない地域を補う役割を担い続け、国民生活に根差した最大の公的インフラとして自治体との結節点にもなった。
郵便貯金と簡易保険は、庶民が銀行や民間生保に預けにくい時代の受け皿として急拡大した。1968年に郵便番号制を実施し、[12]手作業に頼ってきた郵便処理の機械化が進んだ。1981年に郵便貯金ATMの取扱いが始まり、[13]1991年に郵便年金事業を簡易保険事業に統合する新簡易保険制度が発足、[14]1999年にATM・CD提携サービスやデビットカードサービスが始まるなど、[15]窓口業務の自動化と商品の多様化が進んだ。戦後の国民貯蓄動員期から高度成長期を経て、郵便局網は金融インフラの末端として庶民生活の基盤に組み込まれた。家計貯蓄が財政投融資に流れ込む経路としても機能し、国の資金循環の巨大な一翼を担うまでになった経緯をもつ。
1997年の行政改革会議で郵政3事業の見直しが議題となり、[16]2001年1月の省庁再編で郵政省は廃止され、総務省と郵政事業庁に分割された。[17]同年4月には郵便貯金資金の財政投融資への全額預託義務が廃止[18]され、ゆうちょは自主運用に移行した。財政投融資改革の一環としての措置だったが、郵貯資金が国の資金循環から切り離されたことで、国営事業としての合理性の一部が失われた。同じ2001年にはバイク自賠責保険の取扱い、地方公共団体からの受託事務の取扱いも開始され、[19]郵便局の事業領域は公共サービスの委託窓口にも広がった。民間商品取扱と公的受託の二つの拡張路線が並行し、民営化前の準備が進み、事業の境界線は民間側へ押し広げられた。
2003年4月には日本郵政公社が発足し、簡易保険福祉事業団を統合[20]して一つの公社に集約された。2005年10月には投資信託の販売も始まり、[21]金融商品のラインナップが増えた。小泉純一郎は2005年の総選挙で『郵政民営化』を単一争点[22]に掲げて勝利し、翌年から分割民営化のスケジュールが走り出した。経営の自由度を高める一方で、全国一律サービスという明治以来の原則をどう維持するかは、制度設計の段階から課題として残された。財政投融資改革と並行した民営化は、国の資金循環と公共サービスの両方を組み替える改革として進み、以後の日本郵政の経営課題の根幹を形づくった。のちの不祥事頻発の遠因となる構造もまた、この制度設計に内在していた。
2006年1月、日本郵政株式会社が公社の全額出資[23]により特殊会社として設立された。初代社長には元三井住友銀行頭取の西川善文が就き、民間金融出身者による民営化実務の舵取りが始まった。同年9月には日本郵政の全額出資でゆうちょ・かんぽ生命の前身2社が設立され、[24]民営化後の金融2事業の受け皿を先行して整えた。2007年10月の民営化実施では、日本郵政を持株会社とし[25]、郵便事業会社・郵便局会社・ゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の4社に分割した。明治以来続いた国営郵政事業の終焉であり、日本最大級の民営化として国際的にも注目を集める改革となった。
ただし4分社化設計はすぐに軌道修正を迫られた。郵便局会社が局のカウンター業務を、郵便事業会社が集配・配達を担う二重構造は現場に混乱をもたらし、2012年10月に郵便局会社が郵便事業会社を吸収合併して日本郵便株式会社になった。[26]民営化設計の初期欠陥を5年で認めた形である。この間、経営トップも2009年に齋藤次郎(元大蔵事務次官)、2012年に坂篤郎、2013年に西室泰三(元東芝相談役)と3度交代し、政権交代の影響を受けて短命政権が続いた。以後も組織再編と社長交代は止まらず、民営化後のガバナンスの不安定さが早くも表面化した。
2015年5月、日本郵便は[27]豪州の物流大手Toll Holdingsを約6,200億円で子会社化した。国内郵便物数は1990年代後半以降減少傾向にあり、ゆうパックだけでは民間物流会社に対抗できないなか、豪州を足掛かりにアジア物流網を構築する戦略を描いた。3社同時上場の直前に発表された象徴的な買収でもあり、以後の成長性評価を左右する存在となった。
同年11月、日本郵政・ゆうちょ銀行・かんぽ生命の3[28]社が東京証券取引所第一部に同時上場した。売出総額は約1.4兆円と戦後最大級のIPOで、国が3社の株式を順に売却する民営化完成プロセスの開始点となった。しかし上場からわずか1年後の2017年3月期に、Tollに関するのれん減損などにより連結純損失290億円を計上し、民営化後初の赤字決算となった。計上した減損は、トール関連ののれん・商標権の全額と一部有形固定資産を一括償却したもので、その額は約4,003億円に上った。2016年6月に就任した長門正貢社長は[29]、元シティバンク銀行会長として減損処理と業績立て直しを担った。買収時のデューデリジェンスの甘さが指摘され、海外M&Aの難しさが上場ストーリーを崩す形で露呈した。市場の信認は揺らぎ、民営化後の成長シナリオは早くも修正を迫られた。
2018年末、日本郵政はAflac Incorporatedおよびアフラック生命保険との資本関係に基づく戦略提携に合意した[30]。がん保険の受託販売を2014年7月から行った関係を発展させた[31]金融事業強化策として発表したが、その直後の2019年にかんぽ生命の不適切販売問題が表面化した。複数契約の乗り換えで顧客に不利益を与えた事案が数十万件単位で発覚し、金融庁と総務省から業務停止命令が出された。2019年4月にかんぽ生命株式の第2次売出しを実施した直後の発覚で、[32]株主や市場からの信頼失墜は深刻だった。民営化以降の窓口現場の販売圧力という構造的問題が表面化し、事業停止と業績悪化が同時に進む時期となった。
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|---|---|---|---|---|
| 1871〜2002年前島密創始の国営郵便から民業圧迫論へと向かう拡張期 | 郵便事業を創業 | ★★ | ||
| 郵便制度を全国的に実施 | ★ | |||
| 郵便はがきの発行を開始 | ★ | |||
| 郵便料金の全国均一制を実施 | ★★ | |||
| 外国郵便の取扱いを開始 | ★ | |||
| 郵便為替事業を創業 | ★ | |||
| 郵便貯金事業を創業 | ★★ | |||
| 万国郵便連合に加盟 | ★ | |||
| 逓信省が発足 | ★★ | |||
| 「〒」マークを制定 | ★ | |||
| 小包郵便の取扱いを開始 | ★ | |||
| 年賀郵便の特別取扱いを開始 | ★ | |||
| 郵便振替事業を創業 | ★ | |||
| 速達郵便の取扱いを開始 | ★ | |||
| 簡易生命保険事業を創業 | ★★ | |||
| 郵便年金事業を創業 | ★ | |||
| 定額貯金を創設 | ★★ | |||
| お年玉付郵便はがきの発行を開始 | ★ | |||
| 郵政省が発足 | ★★ | |||
| 簡易保険福祉事業団を設立 | ★ | |||
| 郵便番号制を実施 | ★★ | |||
| 国際ビジネス郵便の取扱いを開始 | ★ | |||
| 郵便貯金ATMによる取扱いを開始 | ★ | |||
| 新簡易保険制度が発足 | ★ | |||
| 行政改革会議で郵政3事業の見直しを議題化 | ★★ | |||
| 7けたの郵便番号制を実施 | ★ | |||
| 自動車損害賠償責任保険の取扱いを開始 | ★ | |||
| 省庁再編により郵政事業庁が発足 | ★★ | |||
| 2003〜2018年小泉構造改革下での4分社化から3社同時上場と不祥事への期間 | 日本郵政公社が発足 | ★★ | ||
| 郵便局数が2万4715局に到達 | ★ | |||
| 投資信託の販売を開始 | ★ | |||
| 日本郵政を設立 | ★★ | |||
| 西川善文氏が社長に就任 | ★ | |||
| ゆうちょとかんぽを設立 | ★ | |||
| 郵政民営化により持株会社に移行 | ★★★ | |||
| 齋藤次郎氏が社長に就任 | ★★ | |||
| 郵便局会社が郵便事業会社を吸収合併 | ★★ | |||
| 西室泰三氏が社長に就任 | ★ | |||
| かんぽ生命保険ががん保険の受託販売を開始 | ★ | |||
| 豪トール買収による国際物流への進出と巨額減損 2015年11月の3社同時上場を控えた日本郵政が、子会社の日本郵便を通じ、豪州の物流大手Toll Holdingsを約6,200億円で完全子会社化した経営判断。国内郵便の縮小を補う国際物流への進出を狙ったが、2年後に巨額減損を招いた。 詳細を読む | ★★★ | |||
| 日本郵政・ゆうちょ・かんぽ3社同時上場——最後の大型民営化 2015年11月4日、日本郵政と、その完全子会社であるゆうちょ銀行・かんぽ生命保険の3社が東京証券取引所第一部に同時上場した。純粋持株会社と金融子会社2社を同時に市場へ出す『親子上場』で、政府と日本郵政が保有株を売り出し、3社合計で約1兆4千億円を調達した、戦後最後の大型民営化案件である。 詳細を読む | ★★★ | |||
| かんぽ生命保険が第一生命保険と業務提携 | ★ | |||
| 長門正貢 | 長門正貢氏が社長に就任 | ★ | ||
| 長門正貢 | 親会社株主に帰属する当期純損失290億円を計上 | ★★ | ||
| 長門正貢 | 米アフラックへの7%出資と持分法適用をめざす戦略提携 2018年12月19日、日本郵政が、長年のがん保険パートナーである米アフラック・インコーポレーテッドの発行済株式7%程度を信託を通じて約2,700億円で取得し、4年後の持分法適用をめざす『資本関係に基づく戦略提携』を発表した経営判断。長門正貢社長のもとで決めた、豪トール以来の大型出資である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2019〜2024年かんぽ問題後の業績停滞と総合物流企業化への再構築期 | 長門正貢 | かんぽ生命保険株式の第2次売出しを実施 | ★ | |
| 長門正貢 | かんぽ生命の不適切募集問題と、経営陣の引責・グループ統治の再建 2019年、傘下のかんぽ生命保険と日本郵便で、保険料の二重払いや無保険状態を招く不適切な保険募集が約18万件発覚した問題。同年12月27日に金融庁と総務省の行政処分(保険募集の一部停止など)を受け、日本郵政・日本郵便・かんぽ生命の3社長が引責辞任し、2020年1月に増田寬也氏が日本郵政社長へ就任してグループ統治の再建に着手した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 増田寬也 | 増田寬也氏が社長に就任 | ★ | ||
| 増田寬也 | 楽天と資本業務提携 | ★★ | ||
| 増田寬也 | かんぽ生命保険の議決権保有割合が49.9%に低下 | ★ | ||
| 増田寬也 | プライム市場に移行 | ★ | ||
| 増田寬也 | ゆうちょ銀行株式の第2次売出しを実施 | ★ | ||
| 増田寬也 | 親会社株主に帰属する当期純利益2686億円を計上 | ★ | ||
| 増田寬也 | 日本郵便が郵便料金を改定 | ★★ | ||
| 増田寬也 | ゆうちょ銀行株式の第3次売出しを実施 | ★ | ||
| 増田寬也 | 日本郵便がトナミHDを子会社化 | ★★ | ||
| 根岸一行 | 根岸一行氏が社長に就任 | ★ | ||
| 根岸一行 | 日本郵便が一般貨物自動車運送事業の許可取消処分 | ★★ |
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事実根拠:出所(日本郵政)