NSD地域計算センター・福島総合計算センター(現・FSK)の子会社化と運用受託部門の分社
「純粋なソフト開発」を掲げてきた独立系SIerは、なぜ時間貸しを退けた計算センターを買ったか
- 概要
- 2001年5月、日本システムディベロップメント(現・NSD)が福島県いわき市の㈱福島総合計算センター(現・㈱FSK)へ議決権81.6%を出資して子会社化した経営判断。同月には自社のコンピュータ室運営管理部門を分離独立させ、日本産業システム㈱の買収とエヌ・アイ・コンサルティング㈱の設立もあわせて実施している。
- 背景
- 同社は1988年の証券アナリスト向け講演で、大東清成社長が「純粋のソフトウェアの開発が80%」「大型コンピュータを時間貸しなどはせず」と自ら線を引いていた受託開発専業であった。案件の完成が期末に集中し、業績が振れる構造を抱えたまま規模だけが3倍に伸びていた。
- 内容
- 取得先の福島総合計算センターは1963年に常磐炭礦㈱の電子計算部門を分離して設立され、1967年から自治体の税務処理受託、1984年からアウトソーシング事業を手がけてきた地域計算センターである。傘下の㈱ディ・アクセスもあわせて子会社となった。
- 含意
- 創業世代が自社の強みとして退けてきた情報処理サービスを、外から買う形で取り込む判断であった。2001年5月に手がけた他の会社が2005年までに本体へ吸収されたのに対し、FSKは2025年3月期時点でも議決権82.2%の連結子会社として残っている。
かつて退けた業態を買うということ
この判断の芯は、多角化でも規模の拡大でもなく、創業世代が強みとして退けた業態を買い直したところにある。大東清成社長は1988年の講演で、大型コンピュータを時間貸ししないこと、人材派遣とは本質的に異なることを、わざわざ挙げて自社を語っていた。その13年後、同社は自治体の月次処理を請け負う計算センターへ81.6%を出資し、同じ月に自社の運営管理部門を別会社へ切り出している。
もっとも、この手が効いたと言い切れる材料は乏しい。資本参加の翌期から連結売上は2期で57億円落ち、経常利益は半分近くまで縮んだ。FSKを抱えたことが下げ止まりを作った跡は、少なくとも当時の数字の上には見えない。それでも、同じ月に手がけた会社が2005年までに本体へ吸収されて消えたのに対し、FSKだけは82.2%の子会社として四半世紀後も残った。買った会社が残るかどうかは、買った時の説明よりも、そのあと任せる仕事があるかどうかで決まるのかもしれない。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
「純粋なソフト開発」で引いた線
1988年12月1日、日本証券アナリスト協会企業分析部会の大阪での講演で、大東清成社長は自社の姿をこう説明した。同業他社ではソフトウェア開発が3割ほどでオペレーション部門を抱える会社もあるが、日本システムディベロップメントは受託によるアプリケーションソフトの開発が80%を占める、と。昭和63年3月期の売上高は133億2,000万円、経常利益は10億1,700万円であった[1][2]。
大東社長は同じ講演で、東京に置いた大型コンピュータ2台について、他社のように時間貸しはせずすべてソフト開発用に使っていると述べている。プログラマーや運営管理要員を派遣する人材派遣会社とも本質的に異なる、とも語った。計算機を時間で売る情報処理サービスも、人を送り出す派遣も、自らの業態ではないという線引きであった[3]。
案件が終われば止まる売上
受託開発は案件が完了すれば売上も止まる。大東社長は講演の質疑で、中間期に損益が沈む理由をプロジェクトの完成が年度末に集中するためと説明していた。1969年4月の設立時、同社の業務はソフトウエア開発とコンピュータ室運営管理、データエントリーの3つであったが、講演で語られた自己像は開発に寄りきっていた[4][5]。
1988年11月に大阪証券取引所市場第二部へ上場したのち、1998年9月に大証一部の指定を受け、1999年11月には東京証券取引所市場第一部にも上場した。2002年3月期の連結売上高は417億円と、講演当時の3倍を超えている。規模が伸びるほど、期末に完成が寄る受託開発の振れ幅もそのまま大きくなっていった[6][7]。
決断
2001年5月に同時に打たれた四つの手
2001年5月、同社は4件のグループ再編を同じ月に実施した。自社のコンピュータ室運営管理部門を分離独立させてエヌ・エス・ディシステムサービス㈱を設立し、日本産業システム㈱を買収してNSD西日本㈱と改称し、エヌ・アイ・コンサルティング㈱を設立し、そして㈱福島総合計算センターに資本参加した。前月には米国カリフォルニア州にNSD AMERICA INC.を設けている[8][9]。
4件のうち3件までが、運用・保守・監査という開発の後工程に関わる。自社の運営管理部門を別会社へ切り出す一方で、外から計算センターを傘下に入れる組み合わせは、開発の前後で継続的に発生する業務をグループとして抱え込む形になっていた。単体で完結していた会社が、複数の事業会社を束ねる体制へ移り始めた月であった[10]。
常磐炭礦から生まれた計算センターを買う
福島総合計算センターは1963年6月、常磐炭礦㈱の機械化にともなって電子計算部門を分離する形で設立された。1967年に自治体の税務処理受託サービスを始め、1984年にはアウトソーシング事業に乗り出し、1990年代を通じて住民情報・税収納・人事給与といった自治体向けシステムを立ち上げてきた。1999年には介護保険システムを稼働させている[11]。
取得した議決権は81.6%で、傘下の㈱ディ・アクセスもあわせて子会社となった。資本金1,600万円、拠点は福島県いわき市にある。大阪と東京で金融機関や大企業の受託開発を積み上げてきた会社が、自治体を顧客に月次の処理を請け負う計算センターを、常磐炭田の跡地に買った形になっている[12][13]。
結果
買った直後に来たIT投資の反落
資本参加の翌期から、業績は下降に転じた。連結売上高は2002年3月期の417億円を頂点に、2003年3月期367億円、2004年3月期360億円と2期で57億円減っている。経常利益の落ち込みはより急で、69億3,000万円から36億9,000万円へと2年でほぼ半減した。2000年前後に膨らんだIT投資が反転し、受託開発の案件が細っていった時期にあたる[14]。
一方で連結従業員数は、同じ2期のあいだに3,145名から3,370名へ増えている。案件が減るなかで人員が増えたのは、2001年から2002年にかけて設立・買収した子会社が連結に加わったためであった。売上と利益が縮むなかで、月次で回る業務を抱えるグループ会社を持つ意味は、単体で受注していたときとは違っていたとみられる[15]。
元請け化のなかで残ったもの
2006年4月、日鉄日立システムエンジニアリング㈱の常務を2004年3月に退いて同年4月に顧問として入社していた冲中一郎氏が、代表取締役社長に就任した。冲中社長は「NSDの名を顧客内に轟かせろ」と号令をかけ、5年前に50%を下回っていた元請け比率を受注金額ベースで66〜67%まで引き上げたと2007年に語っている。当時の営業利益率は18%近くにあった[16][17]。
福島総合計算センターは2004年12月に商号を㈱FSKへ改め、その後もグループに残った。2001年5月に同時に手がけた会社のうち、NSD西日本㈱は2005年4月に本体へ吸収合併され、エヌ・エス・ディシステムサービス㈱も同年1月に日本テクニカルサービス㈱と合併して姿を消している。FSKは2025年3月期時点でも議決権82.2%の連結子会社として存続している[18][19][20]。
- 証券アナリストジャーナル 1989年 第27巻第1号「日本システムディベロップメント」大東清成 取締役社長(日本証券アナリスト協会企業分析部会 昭和63年12月1日・大阪 講演要旨)
- 日本システムディベロップメント 有価証券報告書(2006年3月期)【沿革】【主要な経営指標等の推移・連結】【関係会社の状況】【役員の状況】
- 日本システムディベロップメント 有価証券報告書(2015年3月期)【沿革】
- NSD 有価証券報告書(2025年3月期)【関係会社の状況】
- 株式会社FSK 公式サイト「沿革」「会社概要」
- 週刊BCN+ 2007年2月19日「日本システムディベロップメント 代表取締役社長 冲中一郎」