荏原製作所環境・水処理事業の分社再編と、水事業子会社への三菱商事・日揮の資本参加

EPCの重荷を抱えた環境事業を、荏原はどう外部連合による水事業へ組み替えたか

時期 2010年3月
意思決定者(推定) 矢後夏之助 社長
論点 環境事業の再編と水事業の成長戦略
概要
2010年2月23日、荏原製作所が水事業子会社の荏原エンジニアリングサービスの株式を三菱商事・日揮へ3分の1ずつ譲渡し、3社同持分の共同経営とすることを発表した経営判断。前年の2009年に水処理・廃棄物処理事業をそれぞれ専業会社へ分社統合したうえで、水事業を外部資本へ開いた。矢後夏之助社長のもとで進めた環境事業の再編である。
背景
都市ごみ焼却や上下水道を担う環境事業はプラント一括請負で採算が振れやすく、2009年3月期は連結で131億円の純損失に沈んだ。荏原は2009年に水処理事業と廃棄物処理事業を切り分け、それぞれ独立した専業会社へ束ね直していた。
内容
100%子会社の荏原エンジニアリングサービス株を三菱商事・日揮へ3分の1ずつ譲渡した。荏原の水処理の要素技術、日揮のエンジニアリングノウハウ、三菱商事の資金調達力を持ち寄り、アジア・中東の上下水道や海水淡水化案件の受注を狙う「和製水メジャー」構想の一角となった。
含意
自前でプラントを建てて運営する請負型から、外部と資本・機能を分け合う体制への転換であった。会社は2011年に水ingへ改称。共同経営は16年続き、2026年に3社が水ing株をインフロニア・ホールディングスへ912億円で譲渡して区切りがついた。
筆者の見解

自前主義を解くということ

この判断の芯は、水事業を切り出して外に開いたこと自体ではなく、自前で建てて運営する荏原の環境事業のやり方を、資本ごと外部と分け合う形へ変えた点にある。プラント一括請負で採算が振れ、2009年3月期に131億円の純損失を出した事業を、荏原は三菱商事・日揮と3分の1ずつの同持分で持ち合う会社へ組み替えた。技術は自前でも、資金と海外網は他社に頼るという割り切りが、そこには表れているとみられる。

もっとも、和製水メジャーという掛け声は、思い描いたようには実らなかった。海外の採算案件は欧州の水メジャーが握ったままで、日本勢の海外水事業は小さくとどまり、16年後には荏原自身が水ing株を手放している。合弁が国内の水インフラ運営を中心に据えていったのは、掲げた海外戦略と現実の受注の差を3社が見直した結果だとみられる。単独では負いきれない事業を持ち合いへ移した判断は、成否とは別に、選択肢の一つとして残るといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

環境事業の重荷と、2009年の分社再編

荏原製作所の主柱は祖業のポンプ(風水力機械)だが、都市ごみ焼却や上下水道を担う環境事業も長く事業の一角を占めていた。ただプラントを一括請負う環境事業は工期やコストで採算が振れやすく、2000年代を通じて業績の重荷になりがちであった。リーマン・ショック後の2009年3月期には連結営業利益が6億円まで細り、131億円の純損失に沈んで、事業構成の立て直しが避けられなくなっていた[1]

荏原はまず事業を切り分ける手を打った。2009年4月にグループ内の水処理事業を荏原エンジニアリングサービスへ統合し、同年10月には廃棄物処理事業を荏原環境プラントへ統合している。都市ごみ焼却と上下水道という環境事業の二本柱を、それぞれ独立した専業会社へ束ね直す分社再編であった。切り出した先の一つが、のちに外部資本を迎える器となる[2][3]

決断

三菱商事・日揮を迎えた三社提携

2010年2月23日、荏原は三菱商事、日揮と水処理ビジネスで提携すると発表した。100%子会社であった荏原エンジニアリングサービスの株式を3月末に両社へ3分の1ずつ譲渡し、3社が同じ持分で共同経営する枠組みである。前年に切り出したばかりの水事業会社を、そのまま外部資本へ開く判断であった[4]

狙いは海外に置かれた。荏原の水処理の要素技術、日揮のエンジニアリングノウハウ、三菱商事の資金調達力を持ち寄り、アジアや中東で拡大する上下水道インフラや海水淡水化プロジェクトの受注を目指す構えである。自前の技術だけでは届かない領域へ、他社の機能と資本を組み込んで踏み込もうとしていた[5]

和製水メジャーへの参画

この提携は、当時さかんに語られた「和製水メジャー」構想の一つであった。世界の水処理市場は新興国の人口増と工業化で拡大が見込まれ、上下水道の設計から運営までを一括で担う仏ヴェオリア、スエズら水メジャーが大型案件を握っていた。要素技術に強くても運営の規模で劣る日本勢は、商社・エンジニアリング会社・機器メーカーの連合で対抗しようとしていた[6]

荏原にとって提携は、環境事業のかたちを組み替える意味も帯びていた。プラントを自ら建てて引き渡す請負型から、出資して長く運営に関わる事業へと組み替える意味を含んでいた。合弁を担った荏原エンジニアリングサービスの岩泉孝司常務執行役員は、狙いを新興国の水関連インフラ案件の獲得だと語っていた[7]

結果

水ingへの改称と、その後

3社合弁は2010年4月に始動し、荏原エンジニアリングサービスは2011年4月に社名を水ingへ改めた。もっとも和製水メジャー構想は掛け声ほど早くは実らなかった。海外で採算のよい水事業はすでに欧州の水メジャーが押さえ、規模と運営力の差は大きく、日本勢が付加価値を出せるかは未知数と評されていた[8][9]

水ingは国内の上下水道の設計・建設・運営で基盤を固めていった。共同経営から16年を経た2026年4月、三菱商事、荏原、日揮ホールディングスの3社は、保有する水ing株をインフロニア・ホールディングスへ912億円で譲渡すると発表した。荏原は水事業の担い手を建設持株会社の傘下へ委ね、三社提携に区切りをつけた[10]

出典・参考

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