畠山一清
荏原製作所・元取締役社長(荏原製作所設立)
社長就任までの出自
東京帝国大学教授の井口在屋氏が1905年に発表した渦巻ポンプの理論を、実機に落とす仕事を引き継いだ。実用化を担った国友鉄工所が明治末に経営難で閉鎖されると、井口在屋氏の門下だった畠山一清氏は1912年11月、日暮里にゐのくち式機械事務所を設けて製作を始めた。事務所は井口在屋氏を主幹、畠山一清氏を所長とする体制で開いている。1919年に東京市浅草田原町のポンプ場と三河島汚水処分場へ記録的な大型ポンプ15台を納め、これを足場に1920年5月、資本金300万円で荏原製作所を設立した。1962年10月末でも個人としては最大の株主で、発行株式の5.0%を持っていた。
社長に選ばれた経緯
1920年5月の設立と同時に取締役社長となった。戦後の各断面で社長として記録に残り、1950年版の株式会社年鑑は社長を畠山一清氏、専務を酒井億尋氏とし、1955年の会社銀行八十年史も社長に畠山一清氏を挙げる。会社は復興処理の最中にあり、羽田工場が戦災で機能を落としたため1946年7月に川崎工場へ本社事務ごと主力を移し、1948年7月に再建整備計画の認可を受け、1950年5月に特別経理会社の指定を解かれた。1949年5月16日に東京証券取引所へ上場した。
在任中の主な施策
戦後は他社の技術を買ってポンプ以外の事業を足した。1953年1月に東洋キャリア工業と冷凍機、1956年1月に米インフィルコ社と水処理装置で提携し、後者は折半出資の荏原インフィルコを設けて製造に入った。1955年1月には羽田工場を大型ポンプ、川崎工場を中小型の量産に分けた。製塩・製糖・澱粉の製造装置まで機種を広げ、売上高は1953年の27億円から1962年には141億円になった。1962年、1920年入社の酒井億尋氏へ社長を渡し、会長へ就任した。
在任の評価
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