規制が強まれば設備は入れ替わる。その読み自体は当たっていて、官公需の都市ごみ処理装置の受注は2年で4,289億円から7,483億円へ増加した。荏原が誤ったのは需要の量ではなく、その需要へ差し出す製品の成熟度のほうであった。ガス化溶融炉はABBへ技術供与するほどの技術ではあっても、自治体の現場で20年動かし続けた実績を持つ技術ではない。手直し工事と工期のずれで285億円を失ったのは、需要の見立てではなく、納める側の準備に穴があったからなのだろう。
ただ、この傾斜を軽率と決めつけるのも公平を欠く。1983年に川崎工場を閉鎖して1,400人の配置換えを指揮した藤村宏幸氏にとって、新しい成長事業を絶やさないことは人員整理を避けるための責務であり、環境事業は10年赤字を抱えたまま育て上げた事業でもあった。守るべきものがあったからこそ、規制という追い風を逃がしたくなかったのかもしれない。第2の柱を求めた30年の末に稼ぎ手になったのが、当時は"新分野"の隅に置かれていた半導体だったのは、多角化の当たり外れが計画の順位どおりには決まらないことを示している。