荏原製作所ACT'95でガス化溶融炉参入:主力のポンプ事業に依存しない収益源づくりと、ダイオキシン規制下での環境事業への傾斜
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- 概要
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1991年度に始めた中長期経営計画"ACT'95"でポンプ依存からの脱却を掲げ、ごみ焼却と水処理を担う環境事業を第2の柱に据えた経営判断。2000年前後のダイオキシン規制強化で生じた自治体の焼却炉更新需要に対し、実績の乏しい新型のガス化溶融炉で受注を伸ばしにいった。
- 背景
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荏原製作所は1978年にごみ処理装置の1号機を納めたものの、1988年まで環境事業は赤字であった。藤村宏幸社長はごみ発電や肥料製造を組み込んで"静脈産業から動脈産業へ"を掲げ、採算の取れる事業に変えたうえで、ポンプに代わる主柱として資源を投じた。
- 内容
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2000年1月施行のダイオキシン類対策特別措置法により、2002年12月以降の排出基準に適合しない焼却炉の更新が全国の市町村で一斉に始まった。官公需の都市ごみ処理装置の受注は1998年の4,289億円から2000年に7,483億円へ急増し、荏原は焼却灰まで溶かすガス化溶融炉で受注を取りにいった。
- 含意
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2000年には藤沢工場が8年にわたり高濃度のダイオキシンを引地川へ流出させていたことが判明し、"環境の荏原"の看板そのものが傷ついた。ガス化溶融炉の手直し工事と工期のずれからエンジニアリング部門が崩れ、2003年3月期は連結で285億円の最終赤字に沈んだ。
制度の変化を需要と読むということ
規制が強まれば設備は入れ替わる。その読み自体は当たっていて、官公需の都市ごみ処理装置の受注は2年で4,289億円から7,483億円へ膨らんだ。荏原が誤ったのは需要の量ではなく、その需要へ差し出す製品の成熟度のほうであった。ガス化溶融炉はABBへ技術供与するほどの技術ではあっても、自治体の現場で20年動かし続けた実績を持つ技術ではない。手直し工事と工期のずれで285億円を失ったのは、需要の見立てではなく、納める側の準備の側に穴があったからだとみられる。
ただ、この傾斜を軽率と決めつけるのも公平を欠く。1983年に川崎工場を閉じて1,400人の配置換えを指揮した藤村宏幸氏にとって、新しい成長事業を絶やさないことは人員整理を避けるための責務であり、環境事業は10年赤字を抱えたまま育て上げた事業でもあった。守るべきものがあったからこそ、規制という追い風を逃がしたくなかったのかもしれない。第2の柱を求めた30年の末に稼ぎ手になったのが、当時は"新分野"の隅に置かれていた半導体だったのは、多角化の当たり外れが計画の順位どおりには決まらないことを示している。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
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