1919年、小倉康臣氏が東京市京橋区で大和運輸を創立した。資本金10万円、車両わずか4台からの出発ながら、創業直後から三越呉服店の商品配送や日本橋魚河岸の鮮魚輸送を請け負い、都心の商業貨物輸送で事業基盤を固めた。[1]1929年には東京-横浜間で日本初の路線トラック定期便を開始し[2]、戦後は1949年に東京証券取引所へ上場した[3]。1950年代に通運事業、航空貨物取扱、海上貨物取扱[4]と事業領域を広げ、1958年には美術品の梱包輸送にも進出し、法人向けの総合輸送業者としての顔を整えた。1978年の日経ビジネスは『戦前は日本一のトラック会社』[引用元]と伝えたように、戦前戦後を通じて業態の軸は法人荷主を相手にした商業貨物にあった。
しかし1960年代に長距離路線輸送へ参入した際、関西での知名度の低さが響き、荷主獲得で日本通運や西濃運輸の後塵を拝した。小倉昌男氏は後に『5年の遅れは痛かった。新規開業の挨拶に回っても、すでに主な荷主は同業者に抑えられ、貨物が集まらないのには頭を抱えてしまった』[引用元](小倉昌男『経営学』1999)と振り返った。[5]路線トラック事業は参入順に主要荷主を押さえた会社が有利な構造であり、後発の大和運輸が大口の法人荷主を奪い取るのは容易ではなかった。三番手の位置から抜け出せないまま1970年代に入ると業績は低迷し、オイルショックの影響も重なって経営は厳しさを増した。1971年に社長へ就任した2代目の小倉昌男氏は[6]、法人の大口荷物を奪い合うのではなく、誰も手をつけていない個人の小口荷物にこそ活路があるという構想を温め始めた。
1973年、小倉昌男氏はニューヨークで視察を行い、UPSの小型トラックが1ブロックを1台で受け持つ緻密な集配モデルを目にし、個人向け小口宅配の採算性の確信を得た[7]。小倉社長は『一般個人から個人への宅配需要はせいぜい2倍止まりだろうと推定されるから、過大な設備コストに悩まされることはないと思う』[引用元](小倉昌男『経営学』1999)と、需要の平準化が採算性の核心であると見抜いていた。1975年8月、小倉社長は『宅急便開発要領』[8]を社内に発表した。ハブ・アンド・スポーク型の全国集配ネットワークを構築し、取扱店を全国に設けて荷物の密度を高めて採算を成り立たせる構想である。1976年1月20日、電話1本で集荷し翌日配達、運賃は安くて明瞭というコンセプトを掲げて宅急便のサービスを開始したが、初日の取扱個数はわずか11[9]個にとどまった。それでも10年で年間個数は3億個規模へ跳ね上がる[10]。
当時、運輸省は路線トラック事業の免許制を維持し、新規路線の認可には数年を要した。小倉社長は行政訴訟も辞さない姿勢で全国の路線免許を取得し、街の酒屋や米屋を取扱店として組み込み独自のネットワークを築いた。1981年に東証一部へ指定替え[11]、1982年には『ヤマト運輸』へ商号変更し[12]、1980年代半ばには宅急便の年間取扱個数が3億個を超えた。路線トラックで三番手に甘んじた会社が、個人向け宅配という市場の創出者へ立ち位置を変えた。法人の大口を諦めて個人の小口に賭けた判断が、日本の物流業界の勢力図を塗り替えた。新規路線の認可を勝ち取るごとに荷物の密度が高まり、密度の上昇がさらに採算性を押し上げる。小倉社長が狙った好循環は、免許行政との粘り強い交渉のうえに初めて成り立つ仕組みでもあった。
1987年に日経ビジネスはヤマト運輸を『物流革命の旗手[13]』(日経ビジネス 1987/11/9)と呼び、『宅配便市場で快走してきたヤマト運輸の秘密は、利益の確保を二の次に、あくまでも顧客の利便性を追求してきたからだ』[引用元]と述べた。1996年、日本初の低温管理宅配サービス『クール宅急便』を開始した。同時に年末年始営業を導入し、365日体制へ移行した。[14]温度管理輸送の導入は宅急便を単なる荷物配送から食品流通のインフラへ広げ、生鮮食品のギフト配送や産地直送ビジネスの基盤となった。2003年には小笠原諸島へのサービス開始で宅急便の全国ネットワークが完成し[15]、同年にはクロネコメール便の全国展開も始まった。宅急便は個人の荷物市場から食品やメール便の領域へ用途を広げ、同社の物流インフラとしての性格を強めた。
グループ再編も並行した。ヤマトロジスティクスやヤマトグローバルフレイトなどの機能別子会社を整備し、デリバリー事業以外の物流領域へ展開[16]を広げた。2005年11月に純粋持株会社制へ移行してヤマトホールディングスへ商号変更し、BIZ-ロジ事業、e-ビジネス事業、フィナンシャル事業などを含む6事業セグメント体制を整えた[17]。宅急便の発明から30年で、大和運輸は路線トラック会社から総合物流グループへ転じ、個人向け宅配市場の創出者という自己像を企業構造そのものに焼き付けた。
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|---|---|---|---|---|
| 1919〜1996年11個の荷物から始まった個人宅配市場の創出 | ヤマトホールディングス創業——東京京橋のトラック4台から日本初の路線トラック便へ 1919年11月、小倉康臣氏が東京市京橋区で資本金10万円・トラック4台の大和運輸株式会社を設立した。荷馬車・大八車が主流の都心商業貨物に貨物自動車の輸送を持ち込み、三越呉服店・日本橋魚河岸・銀座の商業集積に近い立地で都心の法人配送に特化した。1929年には東京-横浜間で日本初の路線トラック定期便『大和便』を運行し、戦前は日本一のトラック会社と呼ばれる規模へ育っていった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 東京-横浜間で定期便を開始 | ★★ | |||
| 東京証券取引所に上場 | ★ | |||
| 通運事業に参入 | ★ | |||
| 航空貨物取扱を開始 | ★ | |||
| 海上貨物取扱を開始 | ★ | |||
| 美術品梱包輸送事業に参入 | ★ | |||
| 国内航空貨物の取扱を開始 | ★ | |||
| 国際航空混載貨物の取扱を開始 | ★ | |||
| 小倉昌男 | 宅急便事業の創業——路線トラック三番手からの個人宅配市場への転換 1976年1月20日、大和運輸(現ヤマトホールディングス)は関東一円を対象に、電話1本で家庭まで集荷に伺い翌日に届ける『宅急便』のサービスを開始した。長距離路線で日本通運・西濃運輸に後れを取り三番手に沈んでいた同社が、小倉昌男社長の主導で法人の商業貨物から個人向け小口宅配へ主軸を移した経営判断である。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小倉昌男 | 極東リースを設立 | ★ | ||
| 小倉昌男 | 米国法人YAMATO TRANSPORT U.S.A.を設立 | ★ | ||
| 小倉昌男 | 郵便小包の官業独占に対する、宅急便による約20年の規制対抗 大和運輸(後のヤマト運輸)の小倉昌男社長は、1981年の日経ビジネス誌上で宅急便が郵便小包や国鉄小荷物という官業を『食う』秘密を語り、以後約20年にわたり郵便事業の独占という規制環境に対し、価格・サービス面での対抗と行政・世論への働きかけを重ねた。1989年の郵便料金批判、1992年のフェア競争要求、1997年のメール便参入、1999年の公正取引委員会への提訴、2002年の信書便法案への参入断念まで、規制対抗という経営の型が世代を超えて引き継がれた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 小倉昌男 | ヤマト運輸に商号変更 | ★ | ||
| 小倉昌男 | ヤマトコレクトサービスを設立 | ★ | ||
| 小倉昌男 | 欧州拠点としてオランダヤマト運輸を設立 | ★ | ||
| 小倉昌男 | 「クール宅急便」を開始、365日営業へ | ★ | ||
| 1997〜2018年EC拡大と宅配クライシスから読む収益構造の転換 | 小倉昌男 | クロネコメール便の全国展開、宅急便全国ネットワーク完成 | ★★ | |
| 小倉昌男 | 純粋持株会社制へ移行、ヤマトHDに商号変更 | ★★ | ||
| 瀬戸薫 | 初の純損失を計上 | ★★ | ||
| 瀬戸薫 | ヤマト運輸のエキスプレス事業を分割 | ★ | ||
| 瀬戸薫 | ヤマトロジスティクスを国内・国際物流に分割 | ★ | ||
| 木川眞 | 総合物流ターミナル「羽田クロノゲート」を竣工 | ★★ | ||
| 木川眞 | クロネコメール便を廃止 | ★★ | ||
| 山内雅喜 | 宅急便運賃27年ぶり全面値上げと総量規制による収益再建 2017年、ヤマトホールディングスは、EC急増による宅配現場の負荷増と経常利益の半減を受け、宅急便の荷受け量を抑える総量規制と、27年ぶりとなる運賃の全面値上げに踏み切った経営判断。ヤマトホールディングスの山内雅喜社長とヤマト運輸の長尾裕社長が主導した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 山内雅喜 | 宅急便運賃の27年ぶり全面値上げと総量規制の方針を提示 | ★★ | ||
| 2019〜2023年競合との握手──One ヤマトから日本郵政協業へ | 長尾裕 | 長尾裕氏が社長に就任 | ★ | |
| 長尾裕 | グループ7社をヤマト運輸に統合(One ヤマト) | ★★ | ||
| 長尾裕 | 日本郵便との投函サービス協業と、その履行をめぐる提訴への転化 2023年6月、ヤマトホールディングスは日本郵政と持続可能な物流サービスの推進に向けて基本合意し、郵便受けに投函する小型荷物・メール便の配達業務を日本郵便へ順次移管した。長年、信書規制をめぐり対立してきた相手との協業であったが、2024年に履行をめぐる調整がこじれ、2024年12月に日本郵便がヤマトを提訴する事態に至った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 長尾裕 | クロネコDM便を廃止 | ★ | ||
| 長尾裕 | エクスプレス事業が営業赤字に転落 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(ヤマトホールディングス)