この創業から見えてくるのは、完成した商品ではなく荷を運ぶ手段の側から事業を起こした選択の意味である。荷馬車と大八車が街の貨物を担っていた時代に、康臣氏は輸入トラック4台という限られた設備で都心の法人配送に絞り込み、車庫と得意先の距離を詰めることで少ない車両で採算を確保した。派手な新製品ではなく、荷主の配送という地味な需要に応える積み重ねが、無名の運送会社を業界で有数の位置へ押し上げたのだろう。
もう一つ読み取れるのは、創業期に築いた技法が世代を越えて生き続けた経路である。都心の店舗配送で磨いた車両の回し方と定期路線の運行は、大和便による日本初の路線トラック事業として結実し、戦後の多角化と長距離路線への参入を支えた。個人の荷物を運ぶ後年の宅配事業も、康臣氏がトラック4台で始めた自動車輸送の延長として捉えられる。創業の判断が据えた自動車輸送への集中が、その後の事業の広がりを貫く土台になったといえる。