明治33年10月に本店の全階を陳列場とし、座売りを全廃した時点で、三越は呉服以外を並べられる店になっていた。デパートメントストア宣言が出るのはその4年後、株式会社三越呉服店を設立した明治37年12月である。宣言が新しい業態を呼び込んだのではなく、陳列販売を採り入れてから9年かけた売場の改造が、宣言を出せる状態を先に作っていた。日比翁助氏が会社の形を変える月にそれを対外へ示したのは、売り方の改造がひととおり済んだという判断があったからだと推察される。
ただ、宣言から品目が揃うまでには10年を要した。呉服以外を増やすと言ってから、食料品と園芸の売場が入る建物ができるのは大正3年9月であり、意思の表明と売場の実物には長い距離があった。先を行った利も長くは続かず、大正初頭には各百貨店ともデパートメント・ストアーの態勢を整えている。呉服店から百貨店へ移るという道筋そのものは各社に共通しており、三越が握ったのは方向ではなく数年の時間差だったといえる。