HITSHOP展開を開始(1994年・光通信の決断) 更新:2026/09/10 論点 携帯の代理店収益をどう設計するか 光通信:業績の推移 売上高(億円)当期純利益率(%)データ出所 携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への参入 何をなぜ決めたか:携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への参入 概要 携帯電話がレンタルから売切り制へ移った1994年4月、光通信は携帯電話機器の販売を開始し、翌5月に東京都新宿区へ携帯電話販売ショップHITSHOPの第1号店を開店した。直営店とチェーン加盟店の二本立てで店舗網を拡大し、1995年7月時点で直営22店・加盟28店、同年12月末には加盟店を含め全国79店舗となった。 1997年4月には全国約300店、1998年8月に500店、1999年5月には1,500店へ達する。端末の利ざやではなく、契約者の通話料金に連動して継続的に入るコミッションを収益源に据えた経営判断である。 背景 1994年4月の売切り制導入と同時にツーカーセルラー、デジタルホンの2グループが新規参入し、端末の販売価格は当初の半値にあたる5万円前後まで急落した。売れ筋の変化による在庫リスクと利幅の減少を嫌って代理店をやめる業者が相次ぎ、東京デジタルホンの1次代理店はピーク時の約300店から200店程度へ絞り込まれている。 光通信は1993年後半、NTTの長距離通話料金値下げでDDIの回線契約が激減したのを機に、販売の主力を訪問販売から店頭販売へ移していた。1993年6月に移動体通信事業部を組織し、携帯電話サービスの回線販売を本格化させた矢先の制度変更だった。 内容 HITSHOPは日本移動通信、ツーカーセルラー系、デジタルホン系、セルラー系の各グループを併せて扱い、複数のキャリアを並べて選ばせる専門店として広げた。カウンターとテーブルを置き、カタログを広げてキャリアと機種を選べるようにした点が、店内の一角に端末を並べる量販店との違いである。 1994年9月には家電量販店への卸売りを始め、3か月で約70社と契約した。携帯電話とPHSの月間販売台数は1994年9月の約4,000台から1996年2月には6万台へ伸び、1995年時点で販売の約3分の2が量販店経由となった。 含意 キャリアから受け取るコミッションは、加入契約を獲得した段階での一時金である受付コミッションと、継続的に受け取る変動コミッションの2種類に分かれる。変動コミッションは利用者の通話料金に対する率で算出され、追加のコストがかからないため収益の安定を支えた。契約を積むほど後年の収入が積み上がるこの構造は、品目を替えながら磨かれるストック利益経営の原型となる。 もっとも店舗網の拡大は反転もする。不採算店舗の整理により、2003年3月には全国470店舗まで縮小した。 いつ何が起きたか 9件 考察:物でなく契約を積む商売 考察 考察:物でなく契約を積む商売 光通信が売切り制の導入で選んだのは、端末という物を売る商売ではなく、利用者が毎月払う通話料金に連なる権利を積む商売だったといえる。契約の獲得時に入る受付コミッションで当座の資金を回し、通話料金に応じて継続的に入る変動コミッションを積み上げる二段構えは、店舗を増やすほど翌年以降の収入が厚くなる仕組みでもあった。売るものは変わっても、契約を積んで細く長く回収するという骨格は、この時点ですでに固まっていたと思われる。 もっとも、この設計は店舗網の拡大速度に依存していた。第1号店から5年で1,500店へ達した勢いは、加入契約の数がそのまま評価に直結する営業の駆動力に支えられており、やがて架空契約となって噴き出す。2003年に470店まで畳んだ事実は、店舗を積む拡大と契約を積む収益が別物であったことを示している。契約から得る利益だけが残ったとき、その回収の構造は次の品目へ移されていった。 Yutaka Sugiura, 2026年7月 数字で見る 3表 数字で見る 図と表 光通信:携帯電話販売ショップ店舗数の推移 店舗数(店舗) 表を見る 光通信:携帯電話販売ショップ店舗数の推移 × (店舗) 店舗数 備考 1994年5月 1 東京都新宿区に第1号店が開店 1995年7月 50 直営22店・フランチャイズ28店 1995年12月 79 加盟店を含む全国の店舗数 1997年4月 300 日経ビジネス1997年4月28日号の時点。誌面の表記は約300店 1998年8月 500 1999年1月 1,000 1999年5月 1,500 2003年3月 470 不採算店舗のリストラによる縮小後の店舗数 出所:光通信 有価証券報告書 第19期(2006年3月期)【沿革】 / 日経ビジネス 1995年7月3日号「光通信 携帯電話専門店で独走 拡大支えるスピード経営」(日経BP社) / 証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) / 日経ビジネス 1997年4月28日号「重田康光氏[光通信社長]実力主義やるならここまで」(日経BP社) 出所:光通信 有価証券報告書 第19期(2006年3月期)【沿革】 / 日経ビジネス 1995年7月3日号「光通信 携帯電話専門店で独走 拡大支えるスピード経営」(日経BP社) / 証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) / 日経ビジネス 1997年4月28日号「重田康光氏[光通信社長]実力主義やるならここまで」(日経BP社) 光通信:携帯電話・PHSの月間販売台数の推移 月間販売台数(台) 表を見る 光通信:携帯電話・PHSの月間販売台数の推移 × (台) 月間販売台数 備考 1994年9月 4,000 誌面の表記は約4,000台 1995年11月 20,000 1995年12月 34,000 1996年1月 44,000 1996年2月 60,000 出所:証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) 出所:証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) 販売代理店事業の条件 携帯電話機器の販売開始 1994年4月 販売ショップ第1号店の開店 1994年5月 店舗の名称 HITSHOP 直営と加盟店の別 直営22店・加盟28店 取り扱ったキャリア IDO・ツーカー・デジタルホン・セルラー 受付コミッション 加入契約の獲得時に受け取る一時金 変動コミッション 通話料金に対する率で算出 家電量販店への卸売り開始 1994年9月 表を見る 販売代理店事業の条件 × 科目 概要 備考 携帯電話機器の販売開始 1994年4月 売切り制の導入に伴う。前年6月に移動体通信事業部を組織し回線販売を本格化していた 販売ショップ第1号店の開店 1994年5月 東京都新宿区。以降は毎週1店舗のペースで出店した 店舗の名称 HITSHOP 通信サービスの総合ショップとして展開。直営店とチェーン加盟店の二本立て 直営と加盟店の別 直営22店・加盟28店 1995年7月時点。1995年12月末は加盟店を含め全国79店舗 取り扱ったキャリア IDO・ツーカー・デジタルホン・セルラー 複数のキャリアを扱う携帯電話専門店は当時珍しく、NTTドコモ系は含まない 受付コミッション 加入契約の獲得時に受け取る一時金 仕入単価と受付コミッション単価を勘案して店頭価格を決める 変動コミッション 通話料金に対する率で算出 継続的に受け取る手数料。定額のものもある。コストがかからず収益の安定を支えた 家電量販店への卸売り開始 1994年9月 開始から3か月で約70社と契約。1995年時点で販売の約3分の2が量販店経由 PHSの取次と端末販売の開始 1995年7月 簡易型携帯電話サービスの取次を併せて開始した 出所:光通信 有価証券報告書 第19期(2006年3月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) 出所:光通信 有価証券報告書 第19期(2006年3月期)【沿革】/証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録「企業 光通信」(1996年3月) 参考文献 参考文献 参考日経ビジネス 1995年7月3日号(日経BP社)証券アナリストジャーナル 第34巻第3号 別冊付録(1996年3月)日経ビジネス 1997年4月28日号(日経BP社)証券 第51巻第11号(単体業績)光通信 有価証券報告書「第19期(2006年3月期)【沿革】」 次に読む決断 光通信の意思決定1988年光通信光通信訪問販売モデルの確立通信自由化を機とした創業と、後の主力となる販売手法の設計1988年2000年光通信光通信HIT SHOP架空契約発覚契約実態のない売上計上の露見を受けた携帯電話小売からの撤退2000年同じ問い:販路の転換1988年大東建託大東建託大東建託へ社名変更土地活用を軸とする事業モデルの確立と、それを掲げた社名への刷新1988年2018年オービックビジネスコンサルタントオービックビジネスコンサルタント「奉行クラウド」投入完全SaaS型への移行による、買い切り型から継続収益型への収益構造の入れ替え2018年1904年三越三越デパートメントストア宣言座売りの全廃による陳列販売への転換1904年1997年あいおい損害保険あいおい損害保険GOA車専用保険の開発自動車メーカーの依頼に応じた、メーカー主導の商品設計の受け入れ1997年2000年アスクルアスクルJASDAQ上場のEC先駆モデルインターネット受注に特化した法人向け販売モデルの確立2000年 × 出所