光通信携帯電話の売り切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立

時期 1994年4月
意思決定者(推定) 重田康光 光通信 社長
論点 携帯電話小売への参入と収益モデルの設計
概要
1990年代前半、携帯電話がレンタルから売り切り制へ移るのを機に、光通信は事務機の訪問販売で培った営業力を携帯販売代理店事業へ振り向けた。端末の利ざやではなく、契約者の通話料に連動するストックコミッションを積み上げる収益モデルを軸に急拡大し、創業10年で売上1000億円を超えた経営判断。
背景
携帯電話がレンタルから売り切り制へ転換し、加入者を集める販売代理店に大きな事業機会が生まれた。光通信は事務機やビジネス電話の訪問販売で鍛えた営業組織を持ち、通信事業者の手足となって加入契約を積む立場を得た。
内容
加入時の受付コミッションを端末の値引きと代理店HITSHOPの取り分に回し、卸である光通信自身は契約者の通話料の2〜3%を3〜10年受け取るストックコミッションを収益の柱に据えた。20歳代の営業マンによる猛烈な売り込みで加入契約を積み増し、先に加入者を囲うほど後年の収入が積み上がる構造を築いた。
含意
契約を資産として積むこのモデルは、後年に品目を替えながら磨いたストック利益経営の原型となった。一方でノルマを唯一の駆動力とした急拡大は、2000年の架空契約問題という破綻の種も同時に抱えていた。
筆者の見解

筆者見解

光通信が携帯電話販売で見出したのは、端末という物を売ることより、契約という継続的な支払いを資産として積む発想であったといえる。受付コミッションで当座を回し、通話料に連動するストックコミッションを積み上げる構造は、後年に同社が水・保険・電力と品目を替えながら磨いたストック利益経営の原型とみることができる。売るものは変わっても、契約を積んで細く長く回収するという骨格は、1990年代の携帯販売ですでに固まっていたとみられる。

同時に、この急成長は営業ノルマを唯一の駆動力とした点で脆さも抱えていた。加入契約の数がそのまま評価と報酬に直結する仕組みは、現場を数字の達成へと追い立て、やがて架空契約となって噴き出した。成長を支えた設計と不正を生んだ温床が同じ一つの仕組みであったことは、コミッションモデルの強さと危うさが表裏の関係にあったことをうかがわせる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

出典・参考
  • 光通信 会社年鑑(単体業績)

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