決断
事業領域を一度だけ娯楽の外へ広げ、全敗して内側へ閉じた会社である。1949年に家業を承継した山内溥氏は、1961年から即席食品やタクシーへ多角化したが、1969年までに全て撤退した。以後、経営資源は遊びの内側に限られる。1983年には高性能機を避け、ファミリーコンピュータを1万4800円で出し、家庭用ゲーム市場を立ち上げた。2002年に開発者出身の岩田聡氏へ社長を譲り、遊びを作った経験を後継の条件とした。2017年には据置機と携帯機を1台へ統合し、開発資源を一つの製品系列へ集め、8期続いた減収を止めた。
2025年1月 Switch2の投入
Switch2の投入世界累計約1.5億台の初代Switchの後継機を、路線を転換せず据置×携帯のハイブリッドと後方互換を継承する設計で投入し、前世代の巨大な成功を次の成長へ地続きにつないだ意思決定同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移2024 2025 2026 売上高(兆円) 1.7 1.2 2.3 営業利益率(%) 31.6 24.3 15.6 2022年5月 株式10分割と自社株買い
個人その他の株主数2022 2023 2025 個人その他(人) 26,189 139,900 114,219 2017年3月 Nintendo Switchの発売
Nintendo Switchの発売据置機と携帯機を別々に開発してきた任天堂が、両者を兼ねる1台へ製品ラインを集約し、開発資源と収益をひとつのプラットフォームへ集中させた投入同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略プラットフォーム別の販売実績2017 2022 Nintendo Switch(億円) 1,110 16,027 ニンテンドー3DS(億円) 2,479 − 2016年6月 監査等委員会設置会社へ移行
取締役の数と社外取締役比率2015 2016 2021 取締役(人) 10 9 10 うち社外取締役率(%) 10.0 33.3 40.0 2015年9月 岩田聡氏の急逝と君島達己氏への継承
岩田聡氏の急逝と君島達己氏への継承在職のまま社長を失った任天堂が、開発畑の代表取締役2名で2か月を凌ぎ、海外販売と管理を歩んだ君島達己氏を社長に据え、3年弱ののち生え抜きの古川俊太郎氏へ引き継いだ承継売上高と営業利益率2015 2016 2021 売上高(億円) 5,498 5,045 17,589 営業利益率(%) 4.5 6.5 36.4 2002年5月 山内溥氏の社長退任と岩田聡氏への継承
業績の推移2001 2002 2007 売上高(億円) 4,625 5,548 9,665 純利益率(%) 20.9 19.2 18.0 1998年4月 ポケモン社の共同設立
業績の推移1997 1998 2003 売上高(億円) 3,454 5,346 5,041 純利益率(%) 10.5 15.6 13.3 1996年6月 ソニー連合との決別
ソニー連合との決別CD-ROM機の主導権とソフトのライセンス権を巡りソニーと決別し、カートリッジ式の64ビット機を単独開発した事業判断同じ経営論点に直面した企業 | 経営計画・中期戦略業績の推移1995 1996 2001 売上高(億円) 3,506 3,004 4,625 純利益率(%) 16.1 17.0 20.9 1983年7月 ファミコンの発売
業績の推移1982 1983 1988 売上高(億円) 576 651 1,786 純利益率(%) 13.5 17.9 14.9 1961年6月 ダイヤ交通など多角化の全敗
ダイヤ交通など多角化の全敗トランプ・かるた専業の需要一巡による頭打ちを破ろうと、タクシー・即席食品・乳母車・複写機など本業と連続性のない分野へ多角化したが全敗し、娯楽専業への収斂と在庫を持たない経営を選ばせた新規事業の失敗同じ経営論点に直面した企業 | 新規事業・多角化業績の推移1960 1961 1966 売上高(億円) 4 5 15 純利益率(%) 7.8 10.3 8.3 1889年9月 山内房治郎氏の花札製造