任天堂 の歴代社長

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1949年1960年1970年1980年1990年2000年2010年2020年2026年

山内溥退任

1949年社長就任

入社・取締役社長就任

岩田聡退任

2002年社長就任

2000年入社取締役社長就任代表取締役就任

君島達己退任

2015年社長就任

2002年入社

古川俊太郎現任

2018年社長就任

1994年入社2016年執行役員代表取締役社長
創業社長の関係
創業

1889年9月、山内房治郎氏が京都で花札の製造を始めた。1933年に婿養子の山内積良氏が2代目を継ぎ、1949年にその積良氏が66歳で急逝すると、孫の山内溥氏が早稲田大学在学中の22歳で跡を継いだ。山内溥氏が2002年5月に社長を降りるまでの113年、トップは山内家が占め続けた。

社長登用の傾向
登用

直近20年のトップは岩田聡氏・君島達己氏・古川俊太郎氏の3人で、創業家出身は一人もいない。岩田聡氏はハル研究所の社長から2000年に、君島達己氏は三和銀行を経て2002年に中途で入社し、それぞれ経営企画室長、米国法人の社長・会長を経て就いた。生え抜きは1994年入社で経理畑の古川俊太郎氏だけである。

社長任期の傾向
任期

山内溥氏は22歳で就いてから52年、2002年に退くまで社長の座を動かなかった。22歳という若さで継いだことが、そのまま在任の長さになったと思われる。直近3代は岩田聡氏が13年、君島達己氏が3年弱、古川俊太郎氏が2026年8月時点で8年である。

いまの体制への含意
含意

後継を審議する指名等諮問委員会は2020年に置かれたが、役割は取締役会への答申までで、委員5名には社長本人が入る。取締役13名のうち社外は6名と過半に届かない。2002年の交代は山内溥氏が世襲をしないと自ら決めたもので、2015年は岩田聡氏の急逝が理由である。トップの交代時期を外から動かす主体は見当たらない。

氏名 社長在任期間 退任年は推定 在任年数 推定状況出自役職在任中の決断施策
山内溥(1949年就任)1949〜2002年1949年就任52年退任創業家入社・取締役社長決断1961年ダイヤ交通など多角化の全敗1983年ファミコンの発売1996年ソニー連合との決別1998年ポケモン社の共同設立2002年山内溥氏の社長退任と岩田聡氏への継承
岩田聡(2002年就任)2002〜2015年2002年就任13年退任外部出身取締役社長就任代表取締役決断2015年岩田聡氏の急逝と君島達己氏への継承
君島達己(2015年就任)2015〜2018年2015年就任3年退任外部出身取締役社長就任代表取締役決断2016年監査等委員会設置会社へ移行2017年Nintendo Switchの発売
古川俊太郎(2018年就任)2018年〜現任2018年就任9年現任生え抜き代表取締役社長1994年4月に任天堂へ入社した生え抜きで、2015年7月に経営企画室長、2016年6月に取締役 常務執行役員へ進み、入社から24年で社長に就任した。開発ではなく経営企画から上がった経歴で、創業家との血縁も持たない。山内家の持株は2015年3月期に山内克仁氏の1.98%が残るのみで、上位はジェーピーモルガンチェースバンク10.89%やステートストリートバンク9.65%など外国法人と信託銀行が占めていた。決断2022年株式10分割と自社株買い2025年Switch2の投入

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