重要な意思決定
1966

総合室内ゲーム企業を目指す方針決定

背景

トランプ需要一巡による成長鈍化

1960年代半ば、任天堂はトランプ事業によって国内市場で高いシェアを確保していたが、需要は次第に一巡し、売上成長は鈍化していた。市場を独占していても、娯楽用カードという製品特性上、数量拡大には限界があり、事業規模の伸びは頭打ちとなっていた。

また、1960年代前半に試みたタクシーや加工食品など非娯楽分野への多角化は定着せず、主力事業に代わる収益の柱を確立できていなかった。このため、任天堂はトランプ専業の枠組みを維持したままでは中長期的な成長が見込めない状況に直面していた。

決断

総合室内ゲーム企業への軌道修正

1966年、任天堂は事業方針を見直し、トランプ中心の事業構造から、室内で遊ぶ娯楽機器全般を手掛ける企業へと転換する方針を定めた。非娯楽分野ではなく、遊びの延長線上にある製品領域で多角化を進める判断であった。

この方針の下、1966年には玩具「ウルトラハンド」を発売し、続いて光線銃SPなどの家庭用娯楽機器を市場に投入した。さらに1968年には家庭用ピッチングマシン「ウルトラマシン」を発売するなど、機械仕掛けの室内ゲーム分野へと製品展開を広げていった。任天堂は、玩具と機械を組み合わせた新しい娯楽の創出を志向するようになった。

結果

機械式ゲームから電子化への布石

この方針転換により、任天堂はトランプ依存から徐々に脱却し、室内ゲーム機器を軸とした製品ポートフォリオを形成していった。1970年代初頭にかけては、事務機「コピラス」の発売や、レーザークレー射撃システムの開発など、機械と電子技術を組み合わせた製品にも取り組むようになった。

これらの試行錯誤は、必ずしもすべてが継続的な収益源となったわけではないが、任天堂がカード製造業からエレクトロニクスを含む娯楽機器メーカーへと性格を変えていく過程を形作った。1966年の方針決定は、その後の電子ゲーム分野への進出を可能にする前提条件となった。