重要な意思決定
1953

国産初のプラスチック製トランプを発売

背景

1950年代前半の手工業依存と成長制約

1950年代前半の日本において、トランプや花札の製造は依然として紙製品を前提とした手工業的生産が中心であり、耐久性や品質のばらつきが課題となっていた。特にトランプは子供の遊具として使用されることが多く、紙製では破損しやすく、繰り返し使用に耐えない点が構造的な制約となっていた。

任天堂も例外ではなく、戦後の混乱期を経て需要は回復しつつあったものの、生産は人手に依存し、規模拡大には限界があった。1950年代初頭の段階で、花札・カルタを含む同社の製造体制は、家内工業からの脱却途上にあり、製品品質の安定化と量産化が次の成長に向けた前提条件として浮上していた。

決断

1953年にプラスチックトランプ量産開始

1953年、任天堂は国産初となるプラスチック製トランプの量産を開始した。従来主流であった紙製トランプに代え、耐久性に優れるプラスチック素材を採用することで、製品寿命を大幅に延ばすことを狙った判断であった。当時、日本国内ではプラスチックトランプの量産は技術的に困難とされていた。

このため任天堂は、製造装置を外部調達に頼らず、自社で内製化する方針を採用した。生産設備そのものを開発対象とし、加工工程を含めた量産技術を社内に蓄積することで、安定供給と品質統一を実現した。その後も1959年には台紙貼合機や自動切断機を自社開発し、トランプ製造の合理化を段階的に進めていった。

結果

量産優位確立と市場独占へ進展

量産体制の確立により、任天堂のトランプ事業は生産性で競合を大きく上回るようになった。1961年6月期時点では、トランプ工場は従業員156名で生産高3.7億円を計上し、カルタ工場を上回る生産効率を示していた。手工業的生産から脱却できなかった同業の零細企業との差は拡大していった。

さらに1959年には米国ディズニーと提携し、日本国内におけるキャラクタートランプの独占販売権を取得した。1960年以降はテレビCMなどを活用した販売促進を行い、全国の問屋および百貨店への直接販売を通じて販路を拡大した。その結果、1960年代初頭にはトランプの国内シェア約80%を確保し、1962年には証券取引所への株式上場を果たすに至った。