重要な意思決定
株式会社任天堂を設立
背景
戦前事業と法人形態の分離再編
1933年、山内家は花札およびカルタの製造販売を行う事業体として、合名会社山内任天堂を設立した。戦前期の任天堂は、家業としての製造販売を継続しながら事業を運営しており、法人形態は同族経営に適した合名会社が採用されていた。戦時下から終戦直後にかけて、物資統制や流通制約の影響を受けつつも、花札・骨牌事業は継続されていた。
終戦後、日本社会では企業制度の再編が進み、株式会社形態による事業運営が一般化していった。また、山内家内部では経営承継を見据えた資産管理と事業運営の整理が課題となっていた。戦前から継続してきた合名会社の枠組みは、事業拡大や承継の観点から再検討を要する状況に置かれていた。
決断
株式会社丸福設立による事業継承
1947年11月20日、山内家は株式会社丸福を設立し、合名会社山内任天堂から花札およびカルタの販売部門を継承した。1950年には製造部門も同社に移管され、事業運営の主体は株式会社丸福へと一本化された。これにより、製造と販売を統合した株式会社形態での事業運営が開始された。
この法人再編は、山内積良の病によって顕在化した相続問題への対応でもあった。山内家の事業資産を一つの株式会社に集約することで、承継の円滑化と経営の安定化を図る狙いがあった。その後、株式会社丸福は1951年に任天堂骨牌株式会社、1963年に任天堂株式会社へと商号を変更し、現在の任天堂へとつながっていく。