1969年3月、上月景正は大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業した。修理業で培った電子機器の技術を活かし、1973年にコナミ工業株式会社を設立してアミューズメント機器の製造を始めた。1970年代後半からアーケードゲームの開発に参入し、1981年に『スクランブル』『フロッガー』が北米市場でヒットしてアーケードゲームメーカーとしての国際的知名度を得た。1982年に米国現地法人Konami of Americaを設立し、1984年には英国とドイツにも拠点を置いて海外での営業体制を敷いた。創業から10年余りで北米市場の足場を築き、国内のアミューズメント機器メーカーから輸出型の開発企業へと転換した。 [1][2][3][4][5][6]
1984年に大阪証券取引所新二部に上場し、1988年には東京・大阪証券取引所の第一部に指定された。上場と並行してファミリーコンピュータ向けタイトルの開発を加速させ、1985年の『グラディウス』を皮切りに『悪魔城ドラキュラ』(1986年)、『がんばれゴエモン』『魂斗羅』とヒットシリーズを送り出した。アーケードで培った開発力を家庭用ゲーム機に転用し、任天堂プラットフォーム上のサードパーティーとしての地位を固めた。上場で得た資金は開発投資に回り、1980年代後半に蓄積した知的財産群が後のプラットフォーム転換を支える資産になった。家庭用ゲーム市場での成功で、コナミの収益基盤はアーケード単体からマルチプラットフォームへと広がった。 [7][8][9][10]
1990年代、コナミはPlayStationプラットフォームへの対応で売上規模を伸ばした。1995年前後に『実況パワフルプロ野球』『ウイニングイレブン』を投入してスポーツゲーム分野での地位を固め、1998年1月に発売した『メタルギアソリッド』は小島秀夫監督のもと世界累計販売700万本を超えるヒットとなった。映画的な演出とステルスアクションの融合はゲーム表現の幅を広げ、コナミの名を世界に知らしめた。PlayStationの普及と自社タイトルの国際化が重なり、海外売上比率が上向く転換点となった。スポーツゲームとアクションゲームの双方でシリーズを持つ陣容が、家庭用ゲーム事業の収益の安定性を高めた。 [11][12][13]
1991年にコナミ工業からコナミに商号変更し、『工業』の枠を超えたエンタテインメント企業への転身を示した。1993年には本社を大阪から東京都港区に移し、情報発信と人材採用の拠点を首都圏に置いた。1997年には米国ネバダ州ラスベガスにKonami Gaming, Inc.を設立し、カジノ向けゲーミング機器事業に参入した。アーケード技術をカジノ機器に転用する発想は、コナミが既存技術を新しい規制市場で再利用する手筋の一例である。ゲーミング&システム事業は後にグループの安定収益源へと育ち、北米カジノ市場でのシェア拡大によりデジタルエンタテインメント以外で利益を支える柱となった。 [14][15][16]
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、コナミは事業の多角化に動いた。1999年にロンドン証券取引所、2002年にニューヨーク証券取引所へ上場し、海外資本市場でのアクセスを広げた。2001年2月にはフィットネスクラブ大手のピープル(現コナミスポーツ)を友好的TOBで子会社化し、デジタル以外の事業領域へ踏み込んだ。同年8月にはハドソンに資本参加し、『桃太郎電鉄』等のゲームタイトルを自社の知的財産として取り込んだ。海外上場による資金調達とM&Aを組み合わせて事業の幅を広げた時期で、ゲーム・フィットネス・カジノという性格の違う3領域に同時に足場を構え、収益源を分散させる狙いを持った。 [17][18][19][20]
2005年にラスベガスでゲーミング機器の新社屋を完成させ、カジノ向け筐体の開発と製造の拠点を北米に持った。2006年3月にはデジタルエンタテインメント事業を会社分割してコナミデジタルエンタテインメントを設立し、コナミ本体は純粋持株会社に移行した。事業別子会社体制の導入は、ゲーム・スポーツ・ゲーミングという性格の違う事業を独立に管理し、経営判断の速度を高める狙いがあった。持株会社化によって各事業の損益が個別に見え、資源配分の意思決定も透けて見えた。この分社化は後にモバイルシフトへ動く際の組織の柔軟性も支えた。 [21][22]
2010年代前半、コナミは収益の軸を家庭用ゲームからモバイルゲームへ移す組み替えに動いた。スマートフォンの普及に伴い、基本無料・アイテム課金(F2P)モデルのモバイルゲームが伸びていた。コナミは『実況パワフルプロ野球』や『遊戯王 デュエルリンクス』など、既存の人気タイトルをモバイル向けに投入した。パッケージ販売の一括収益と違い、F2Pモデルは継続的な課金収入を生むため、ヒットタイトルの利益率は家庭用ゲームを上回った。家庭用ゲームで知名度を固めたシリーズをモバイル市場へ投入する戦略が利益構造の組み替えを支え、新規の顧客獲得コストを抑えつつ課金収益を伸ばす循環を生んだ。
2012年6月に創業者の子息である上月拓也が代表取締役社長に就任し、モバイルシフトの陣頭指揮を執った。同年3月にはハドソンを吸収合併して『桃太郎電鉄』などゲームタイトルを集約した。2015年10月にコナミホールディングスへ商号変更し、持株会社としての位置づけを示した。デジタルエンタテインメント事業のセグメント利益はFY14の169億円からFY18には438億円へと2.6倍に伸びた。連結売上高はFY07の2974億円からFY13に2175億円まで縮んだ後、FY18に2625億円まで戻した。売上高が縮んでも利益は伸びる構造が生まれ、モバイルへの移行は収益のかたちそのものを変えた。家庭用ゲームの開発資源をモバイルに振り向けた判断が、利益率の改善として数字に表れた。 [23][24][25]
フィットネスクラブを主体とする健康サービス(後のスポーツ)事業は、多角化の柱として期待されたが、収益面では厳しい推移が続いた。FY08に健康サービス事業は売上高897億円・事業損失82億円を計上し、FY10でも25億円の赤字だった。施設運営型ビジネスは賃料や人件費など固定費が重く、利用者数の変動で収益が振れやすい。FY11にようやく28億円の黒字に転じ、FY16で42億円の利益を計上したが、デジタルエンタテインメント事業の利益率には遠く及ばなかった。施設型事業の収益改善には設備の更新と会員獲得の両面で時間を要し、グループ全体の利益成長への寄与は限られた。
対するゲーミング&システム事業は北米カジノ市場を中心に安定した収益を保った。FY07に27億円、FY11に66億円の事業利益を計上し、2015年にラスベガスで第2工場を完成させて生産能力を引き上げた。カジノ向け筐体はライセンス規制が参入障壁となるため、いったんシェアを取ると競合の参入が起きにくい。デジタルエンタテインメント・スポーツ・ゲーミングの3事業は収益特性が異なり、モバイルゲームの高い利益率、スポーツ事業の低い利益率、ゲーミングの安定収益という組み合わせがコナミの事業ポートフォリオを形づくった。利益の源泉がデジタルエンタテインメントに集中するなかで、ゲーミングは景気変動の緩衝材になった。 [26]
2013年に東京都中央区銀座の用地を取得し、2019年12月に『コナミクリエイティブセンター銀座』[引用元]が稼働した。この施設にはゲーム開発スタジオとeスポーツ専用施設『esports銀座studio』[引用元]が併設され、コンテンツ制作とeスポーツの拠点を一体化した。従来コナミの開発拠点は神戸テクニカルセンターや東京テクニカルセンター(座間)に散らばっており、チーム間の連携や意思決定に物理的な距離が障害となっていた。銀座への集約によって開発者間の連携と採用力を高め、都心の立地は外部のクリエイターや取引先との協業にも有利に働いた。拠点の統合は開発効率の改善と優秀な人材の確保という二つの課題に同時に向き合う施策だった。 [27][28]
2020年1月にはNPB(日本野球機構)と共催で『eBASEBALLプロリーグ』のeクライマックスシリーズ・e日本シリーズを開催し、eスポーツ事業への本格参入を示した。2020年4月に非創業家出身の東尾公彦が社長に就任し、既存の枠にとらわれず挑戦するとの方針を打ち出し、ゲームセンターをeスポーツセンターへと再定義する構想を語った。アミューズメント施設の来場者数が減りつづけるなかで、eスポーツ大会の開催は新たな来場動機を作り出す試みだった。 [29][30]
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|---|---|---|---|---|
| 1969〜2006年アーケードから家庭用ゲームへ、IPで世界市場を開拓した創業期 | 上月景正が大阪でジュークボックスの修理・レンタル業を創業 | ★★ | ||
| コナミ工業を設立 | ★ | |||
| アーケードゲーム市場に本格参入 | ★★ | |||
| Konami of Americaを設立 | ★ | |||
| Konami Ltdを設立 | ★ | |||
| 大阪証券取引所新二部に上場 | ★ | |||
| Konami GmbHを設立 | ★ | |||
| アーケード専業から家庭用ゲームへ ── 任天堂プラットフォームでの多角展開 1985年、アーケードゲームの専業メーカーであったコナミ工業が任天堂ファミリーコンピュータ向けソフト開発に参入し、『イー・アル・カンフー』を皮切りに複数のヒットタイトルを送り出して家庭用ゲーム機メーカーとしての足場を築いた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | |||
| コナミに商号変更 | ★ | |||
| 上月景正 | PlayStation向け「実況パワフルプロ野球」シリーズを展開 | ★ | ||
| 上月景正 | Konami Gaming,Inc.を設立 | ★★ | ||
| 上月景正 | 「メタルギアソリッド」をPlayStation向けに発売 | ★ | ||
| 上月景正 | 遊戯王オフィシャルカードゲームの発売 ── 紙のトレーディングカードで拓いたIP収益の新機軸 1999年2月4日、コナミが漫画『遊☆戯☆王』を原作とする紙のトレーディングカードゲーム『遊戯王オフィシャルカードゲーム デュエルモンスターズ』Vol.1を発売した経営判断。前年にバンダイが『カードダス』形式で先行商品化していた市場に、コナミが公式ライセンス商品として参入し、ゲームソフト以外のIP収益源を切り開いた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上月景正 | フィットネス大手のピープルを友好的TOBで子会社化 | ★★ | ||
| 上月景正 | ハドソンに資本参加 | ★ | ||
| 上月景正 | ラスベガスにゲーミング機器新社屋完成 | ★ | ||
| 上月景正 | 純粋持株会社へ移行 | ★★ | ||
| 2007〜2020年モバイルシフトで利益構造を転換、収益の軸を組み替えた再編期 | 上月景正 | 本社を東京ミッドタウンに移転 | ★ | |
| 上月拓也 | 上月拓也が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 上月拓也 | モバイルゲーム「実況パワフルプロ野球」(パワプロアプリ)を配信開始 | ★★ | ||
| 上月拓也 | 小島秀夫氏の退社とコジマプロダクション解散 ── モバイル収益重視への経営資源再配分 2015年3月、コナミが開発本部体制への機構改革を発表して小島秀夫監督を新体制の役員名簿から外し、同年12月15日付で小島氏が契約期間満了によりコナミを退社してコジマプロダクションを設立した経営判断。モバイル・ソーシャルゲームの収益比重が高まるなかでの開発体制の組み替えであった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上月拓也 | 小島秀夫氏が新体制から離脱 | ★★ | ||
| 上月拓也 | コナミHDに商号変更 | ★ | ||
| 上月拓也 | eスポーツ施設としてesports銀座studioが操業開始 | ★ | ||
| 東尾公彦 | 東尾公彦が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 2021〜2025年デジタルエンタテインメントが利益を牽引、過去最高益を更新した拡大期 | 東尾公彦 | コナミグループに商号変更 | ★ | |
| 東尾公彦 | コナミアーケードゲームスを設立 | ★ |
免責事項およびポリシー
事実根拠:出所(コナミグループ)