創業者の分林保弘氏は能楽師の家に生まれ[1]、立命館大学卒業後に会計系コンピューターを扱う日本オリベッティに入社した。会計士向けシステム販売を通じて全国の会計事務所と人脈を築き、1970年代に同社がTKCと業務提携した縁から、各地の会計事務所が抱える経営課題に触れる機会を得た。1991年、分林氏はこの人脈を基盤に[2]東京都新宿区で日本エム・アンド・エー・センターを設立した[3]。全国の会計事務所が出資する形態で中小企業向けM&Aの情報ネットワークを組織化する設計は他社にない特色で、設立当初から情報の集散ハブという役割が組み込まれた。中小企業の事業承継仲介は、案件情報が個別の会計事務所と地方銀行に分散して滞留しやすく、守秘義務の壁から横断集約が成立しにくい産業である。最初から横断ネットワークを設計した点が他社との違いとなった。
当時の日本では中小企業のM&Aという概念そのものが社会的に認知されていなかった。広告には全国からおよそ400社の問い合わせが寄せられ、事業承継の潜伏需要が積み上がっていた事実を業界に突きつけた。守秘義務の壁から案件情報を持ち寄る仕組みは当時の業界に存在しなかった。
1999年、分林氏は著書『『中小企業』M&Aの時代が来た!』を出版し、これをきっかけに地方銀行各行から行員向け研修の依頼を獲得した。2000年には全国金融M&A研究会を発足させ、地方銀行や信用金庫の行員にM&A教育を定期的に実施した。単なる業務提携契約ではなく教育機会の提供と人的関係の長期蓄積による結びつきで、後発の競合による模倣が困難な情報基盤に育った。会計事務所と地方銀行の二層ネットワークは、案件情報の集まる場所と顧客接点を同時に押さえる構造を持ち、教育投資が結果として競争優位の源泉になった。当時の銀行は事業承継仲介を本業として手掛ける体制を持たず、行員育成の負担を外部に委ねたい誘因が強かった点も、研修の定着を後押しした。
2002年に商号を日本M&Aセンターへ変更し[4]、2003年には本社を東京丸の内に移転して採用力を強化した[5]。2006年に東証マザーズへ上場し[6]、翌2007年には東証一部へ市場変更した[7]。M&A仲介業は顧客情報の守秘義務の観点から株式上場に不向きとされていたが、エイチ・アイ・エス創業者の澤田秀雄から直接助言を受けて上場に踏み切った経緯が知られる。上場で全国規模の知名度と信用力を獲得し、以後の全国展開と人材採用を後押しした。資本市場の力を活用する選択は当時の同業他社になく、未公開であったブティック型仲介と一線を画した。同社が業界の規模拡大と公開化の口火を切った。
2008年に矢野経済研究所を持分法適用関連会社化し[8]、市場調査機能をグループに取り込んだ。提携先金融機関への食い込みを徹底した。2012年にM&Aシニアエキスパート認定制度を開始し、金融機関側の人材育成を体系化した。2013年にはバンクオブザイヤー表彰制度を導入し、地方銀行の間でM&A紹介実績を競わせる仕組みを制度化した。同年には名古屋支社を設置して地方拠点の整備にも着手した[9]。表彰や認定は紹介の動機付けと現場の格付けを兼ねており、金融機関の営業現場における日本M&Aセンターの優先順位を引き上げる効果を持った。
教育、表彰、拠点の三点セットを揃えた結果、会計事務所と地方銀行の二層ネットワークは制度面でいっそう強固になった。提携先金融機関から案件情報が流入し、日本M&Aセンターが仲介役として成約課金で収益を得る仕組みが定着した。中小企業の後継者不在率が年々上昇するなかで需要を取り込み、安定した成長を続けた。後継者問題という社会課題が同社の事業機会と直接重なり、市場の拡大が売上拡大として数字に現れた。社会的使命と営利事業が重なり合う稀有な立ち位置を手にした。中小企業庁が事業承継支援の政策を厚くしたことで、案件単価の積み上げにより売上は伸びた。
2016年にシンガポールへオフィスを設置し[10]、日本の中小企業と東南アジア企業のクロスボーダーM&Aへの対応に着手した。同年には企業総合評価研究所を設立して企業価値評価の内製化を行った[11]。2019年にインドネシア、2020年にマレーシアへ駐在員事務所を開設[12]し、東南アジア全域でM&A仲介の足場を築いた[13]。国内では2020年にスピア社を完全子会社化し[14]、グループの事業領域を広げた。2021年10月、日本M&Aセンターは持株会社制へ移行し[15]、拡大した事業領域を束ねる組織構造を整え直した。海外と国内の双方を同時に運営する規模に達し、本体の管理機能と事業執行を切り離した狙いがあった。組織の膨張に管理体制を追いつかせる作業でもあった。
しかし持株会社制移行から2か月後の2021年12月、不正会計が発覚した。組織が拡大する過程で内部統制の不備が表面化し、社外調査委員会の報告は過大なノルマと営業現場の評価制度を主因として指摘した。会計事務所や地方銀行が同社に案件を紹介する大前提は紹介先企業の品質と信頼性にあり、不正会計はその前提に疑問を突きつけた。創業以来30年かけて築いたネットワークの信頼基盤が一挙に毀損した。社内管理体制の遅れと、市場を率いてきた会社への社会的期待との間に乖離が生じた。中小企業の事業承継というデリケートな取引を扱う以上、信頼の毀損は受託件数の減少と紹介経路の縮小という二次被害を呼ぶ性質を持っていた。
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|---|---|---|---|---|
| 分林保弘が日本オリッベティに入社 | ★ | |||
| 1991〜2007年会計事務所ネットワーク構築と市場啓蒙の時代 | 日本エム・アンド・エー・センターを設立 | ★ | ||
| 全国の会計事務所と地域M&Aセンターを順次設立 | ★★ | |||
| 大阪支社を開設 | ★ | |||
| 分林保弘 | 日経新聞に一面広告を出稿 | ★ | ||
| 分林保弘 | 分林保弘氏が『「中小企業」M&Aの時代が来た!』を執筆 | ★ | ||
| 分林保弘 | 全国金融M&A研究会を発足 | ★ | ||
| 分林保弘 | 信金中央金庫・全国の信用金庫と業務提携 | ★★ | ||
| 分林保弘 | 商号を日本M&Aセンターに変更 | ★ | ||
| 分林保弘 | 東京証券取引所マザーズに株式上場 | ★ | ||
| 2008〜2020年事業インフラ拡充と海外展開、そして組織膨張の代償 | 三宅卓 | 矢野経済研究所を持分法適用関連会社化 | ★ | |
| 三宅卓 | M&Aシニアエキスパート認定制度を開始 | ★ | ||
| 三宅卓 | 事業承継ナビゲーターを設立 | ★ | ||
| 三宅卓 | 日本投資ファンドを設立 | ★★ | ||
| 三宅卓 | アンドビズを会社分割により設立 | ★ | ||
| 三宅卓 | J-Adviser資格を取得しTOKYO PRO Market上場支援を開始 | ★ | ||
| 2021〜2024年信頼回復と「第二創業」、そして成熟市場への対峙 | 三宅卓 | 持株会社制に移行 | ★ | |
| 三宅卓 | 売上前倒し計上の不適切会計と過年度決算の訂正 2022年、日本M&Aセンターホールディングスは、子会社の日本M&Aセンターが手がけたM&A仲介の売上について、成約前に契約書の写しを偽造して本来より前の四半期に計上する不適切会計があったと公表した。過去5年間で83件、営業担当者や管理職ら約80人が関与し、2021年3月期の純利益は7億3600万円下方修正された。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 三宅卓 | 竹内直樹が代表取締役社長に就任 | ★ | ||
| 三宅卓 | 日本M&Aセンターの実質減収決算と「量から質」への転換 2025年4月30日、日本M&Aセンターホールディングスは2025年3月期決算を開示し、連結売上高が前期比0.1%減の約441億円と、高成長を続けてきた同社としては珍しい実質的な減収に転じたことを明らかにした。成約件数の減少を主因としつつ、経常利益は過去最高を更新した。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(日本M&Aセンター)