重田康光氏の起業と架空契約問題からの再建
1988年2月、重田康光氏は資本金100万円で光通信を設立した[1]。OA機器と電話機の販売およびリースを事業目的に掲げ[2]、当時23歳だった。弁護士一家に育ち、巣鴨高校を卒業したのちアルバイト生活を経て日本大学経済学部へ入った[3]が、すぐに中退した。高校のころから事業家を志し、自由化されたばかりの電話機販売会社で働くうちに、NTT民営化を機に開いた通信市場へ商機を見いだした[4]。事業はホームテレホンの訪問販売から始め、半年後には第二電電の代理店として[5]市外電話サービスの回線販売に入った[6]。1990年4月には複写機とファクシミリ[7]、1991年11月にはコンピュータと周辺機器へ取扱品目を広げた[8]。
重田氏は創業時から『最も成果の上がる組織、仕組みとは何か』[引用元]を問い[9]、商品ではなく営業の仕組みそのものを競争力に据えた。中小企業を回るためのアタックリストに使ったのが、NTTの電話帳『タウンページ』へ載る約530万社の企業情報[10]である。誰でも手に入る公開情報を、片端から電話をかけて訪問の約束を取り付け、訪問先企業の機器・リース期限・反応をデータベース化して次の営業へ回す[11]運用で使い切った。人事も同じ考えで設計し、学歴を問わず33等級の最下位から始め、毎月の異動と成績評価で昇格も降格も起こす実力主義[12]を敷いた。降格しても力を見せれば戻れる敗者復活[13]を組み合わせ、機会は公平に開くという考えを掲げた。企業向けの営業担当は長時間労働をいとわず、多くが20歳代だった[14]。
1992年12月に国際電話サービスの回線販売を本格化し[15]、1993年6月には携帯電話サービスの回線販売へ進んだ[16]。重田氏は組織の固定化を嫌い、市場の変化に応じて人員を動かす経営を掲げ、1993年後半には主力を訪問販売から店頭販売へ移した[17]。1994年4月、携帯電話機器の売り切り制が導入されると、光通信はただちに端末の販売を開始した[18]。翌5月には東京都新宿区へ携帯電話販売店舗の第1号店を開き[19]、HITSHOPの店舗網は1994年8月期末に12店となった[20]。1995年5月にビジネスホンの販売を本格化し[21]、7月には簡易型携帯電話(PHS)の取次と端末販売も加えた[22]。
単体売上高は1994年8月期の122億円[23]から1996年8月期には562億円[24]へ伸びた。
1996年2月、光通信は日本証券業協会へ株式を登録して店頭公開した[25]。31歳の重田氏は史上最年少の店頭公開企業のトップとなった[26]。売上高は前々期261億円・前期560億円と伸び、1997年8月期は1022億円を見込んでいた[27]。1997年1月には売買単位を1000株から100株へ引き下げた[28]。店舗網の拡大はさらに速く、HITSHOPは1996年8月期の140店[29]から1998年8月期に532店[30]、1999年8月期には1816店に達した[31]。1994年8月期の12店から5年で約151倍[32]である。1998年9月にはレンタルサーバー事業も本格化させ[33]、1999年5月には携帯電話販売店舗が全国で1500店に届いた[34]。
1999年9月、光通信は東京証券取引所市場第一部へ株式を上場した[35]。単体売上高は1999年8月期に2592億円、当期純利益は98.8億円へ伸びた[36]。資本参加そのものは新しくなく、1997年にもパソコン量販のソフマップへ30億円の第三者割当増資を引き受けて第二位株主になる交渉を進めていた。
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|---|---|---|---|---|
| 1988〜1999年通信自由化に乗った販売代理と、携帯電話が開いた急拡大 | 重田康光 | 通信自由化を機とした光通信の創業と訪問販売モデルの設計 1988年2月、23歳の重田康光氏が資本金100万円で光通信を設立し、通信機器の訪問販売から事業を始めた経営判断。NTT民営化に始まる通信自由化を好機と見て販売代理業に入り、猛烈な営業と徹底した実力主義人事を組み合わせた独自の営業モデルを、創業時から設計思想として組み込んだ。 詳細を読む | ★★★ | |
| 重田康光 | 市外電話サービスの回線販売事業に参入 | ★ | ||
| 重田康光 | 複写機・FAXの販売開始 | ★ | ||
| 重田康光 | コンピュータ機器の販売開始 | ★ | ||
| 重田康光 | 国際電話サービス回線販売事業を本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 携帯電話サービス回線販売事業に参入 | ★ | ||
| 重田康光 | 携帯電話の売り切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立 1990年代前半、携帯電話がレンタルから売り切り制へ移るのを機に、光通信は事務機の訪問販売で培った営業力を携帯販売代理店事業へ振り向けた。端末の利ざやではなく、契約者の通話料に連動するストックコミッションを積み上げる収益モデルを軸に急拡大し、創業10年で売上1000億円を超えた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 重田康光 | ビジネスホンの販売を本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 簡易型携帯電話(PHS)サービスの取次・端末販売を開始 | ★ | ||
| 重田康光 | 株式を日本証券業協会に登録(店頭公開) | ★ | ||
| 重田康光 | レンタルサーバービジネスを本格化 | ★ | ||
| 重田康光 | 東京証券取引所市場第一部に株式上場 | ★ | ||
| 2000〜2003年架空契約の発覚と、投資・財務の同時破綻からの再建 | 重田康光 | HITSHOP架空契約「寝かせ」の発覚と携帯電話小売からの撤退 2000年、携帯電話専門店HITSHOPのフランチャイズ店で横行した架空契約『寝かせ』が発覚した。時価総額が数兆円規模まで膨らんだ光通信の株価は20日連続のストップ安を記録し、国内のネットバブル崩壊の引き金となった。光通信は店舗網を大きく縮小して携帯小売から撤退し、685億円の特別損失を計上した。 詳細を読む | ★★★ | |
| 重田康光 | 有利子負債の圧縮開始 | ★★ | ||
| 重田康光 | 決算期を8月から3月に変更 | ★ | ||
| 重田康光 | 保険取次販売事業を本格化 | ★★ | ||
| 玉村剛史 | 社債償還危機下の有利子負債圧縮とOA機器販売への収益源転換 ITバブル崩壊で携帯電話販売が失速し、多額の社債と含み損を抱えた光通信は、2000年から2003年にかけて有利子負債を圧縮し、収益源を携帯電話代理店からOA機器などの自社商材販売へ組み替えた。社債の純資産維持条項に追われながら財務を立て直した再建の判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | 代表取締役2名体制を採用 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 重田康光氏が会長に就任 | ★ | ||
| 玉村剛史 | ネットバブル期の対外投資とクレイフィッシュをめぐる経営権争い HITSHOPで時価総額を膨らませた光通信は、ネットバブル期に社外の新興ネット企業への出資を広げた。象徴が、若い創業者・松島庸氏が率いるクレイフィッシュである。本業の架空契約問題と同じ時期に投資も行き詰まり、光通信は2000年8月期に投資損失引当金103億円を計上した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2004〜2019年営業チャネルを資産とみなす多品目化と、純投資という第二の柱 | 玉村剛史 | 最終黒字に転換 | ★ | |
| 玉村剛史 | 自社商材の販売を本格化 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 本社を池袋に移転 | ★ | ||
| 玉村剛史 | エフティグループを子会社化 | ★★ | ||
| 玉村剛史 | ウェブクルー社を買収 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 中小企業向け営業チャネルに水・保険・電力を載せ替える多品目化 2010年代、複写機の需要が細るなか、光通信が中小企業向け訪問営業というチャネルを資産とみなし、その上に載せる商材を宅配水・保険・電力へ広げた多角化の判断。2014年に宅配水のウォーターダイレクトと保険比較のウェブクルーを子会社によるTOBで相次いで取り込み、2017年には電力小売へ参入した。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | 販売品目の構成変更 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 電力事業に新規参入 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 監査等委員会設置会社へ移行 | ★ | ||
| 玉村剛史 | 本業のストック利益を上場株の長期保有へ回す「純投資」への傾斜 2000年の経営危機を乗り越えた光通信が、法人営業のストック収益で得た資金を、上場株の長期保有へ振り向ける『純投資』を第二の柱に育てた経営判断。取得額に対する持分営業利益の比率であるEarnings Yieldとハードルレートで規律し、事業会社でありながら投資会社の性格を年々強めた。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 玉村剛史 | アクトコールを子会社化 | ★ | ||
| 和田英明 | 和田英明氏が代表取締役社長に就任、玉村剛史氏は取締役副会長へ | ★★ | ||
| 和田英明 | さくら損害保険が損害保険免許を取得 | ★ | ||
| 2020〜2026年危機の逆張りと、集めた会社を束ねる資本政策 | 和田英明 | 上場子会社を完全子会社化してグループに取り込む資本政策 2022年以降、光通信が自ら過半を持つ上場子会社を、TOBや株式交換で相次いで完全子会社化した資本政策。2022年に家賃決済代行のシック・ホールディングスをTOBで100%とし、2025年にはザッパラスを株式交換で非上場化した。集めた会社を上場させたまま持つのではなく、本体へ束ねる段階に入った。 詳細を読む | ★★★ | |
| 和田英明 | 東京証券取引所一部からプライム市場へ移行 | ★ | ||
| 和田英明 | 電力調達価格高騰で新電力が総崩れするなかでの電力事業の取得 2021〜2022年、電力調達価格の高騰で新電力の約2割が撤退・倒産するなか、光通信は電力から退かず、経営が傾いた新電力を取得する側に回った。2022年、HISが債務超過に陥らせた新電力子会社HTBエナジーを、光通信の連結子会社HBDが引き取った。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 和田英明 | 報酬委員会・投資監査委員会を新設 | ★ | ||
| 和田英明 | 過去最高益 | ★ |
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事実根拠:出所(光通信)