HITSHOPの展開を開始
携帯電話の売り切り方式転換で店舗型販売に事業機会
1993年後半、NTTは長距離通話料金の値下げを実施し、携帯電話の端末価格が下落したことを受けてNTTやDDIが従来のレンタル方式から売り切り方式へ転換した。端末が消費者に直接販売される仕組みに変わったことで、携帯電話キャリアとは別に販売チャネルを担う小売事業者に事業機会が生まれた。光通信はこの変化を「近い将来、ほとんどの人が使うようになる」市場の到来と捉え、従来のOA機器訪問販売から携帯電話の店舗販売へと軸足を移す方針を決めた。
1994年5月、光通信は東京・新宿に携帯電話販売店「HIT SHOP」の1号店を開業した。HIT SHOPの収益構造は、新規契約獲得時に携帯電話キャリアから受領する受付コミッション(約4.3万円)と、1台あたり月額300円が契約期間5〜10年にわたり入金されるストックコミッションの二層で構成されていた。利用者の増加がそのまま積層的な収益増に直結する構造であり、店舗数の拡大が経済合理的な成長戦略となる前提条件が整っていた。
直営方式からFC方式に転換し店舗網を全国規模に拡大
1998年3月、光通信は店舗拡大を加速するため、従来の直営方式からフランチャイズ方式への注力を決定した。FC方式では加盟店オーナーが出店費用を負担し、光通信はフランチャイズから手数料を収受する仕組みであった。自社の資本投下を抑えながら出店速度を上げられるFC方式の採用により、携帯電話市場の急成長に合わせた店舗網の拡大が可能となった。光通信は各地域に点在するFCオーナーの資本と労力を活用し、直営では実現困難な出店ペースで全国展開を推進した。
FC方式への転換が奏功し、1998年12月にHIT SHOPの店舗数は1816店に到達した。直営店とフランチャイズを合わせた全国規模の販売チェーンが短期間で構築された背景には、1990年代後半の携帯電話加入者の急増があった。市場の拡大期に販売チャネルを先行して確保する戦略は奏功し、光通信の売上高は1999年12月期に2592億円を計上。重田康光氏は32歳で株式公開を果たし、1999年9月には東京証券取引所第一部への上場を実現した。
FC方式の急拡大がノルマ圧力と架空契約の構造的リスクを内包
しかし、FC方式による急拡大は構造的なリスクを内包していた。光通信はFCオーナーに対して厳しい契約獲得ノルマを課しており、ノルマ未達の場合は光通信とのフランチャイズ契約が解除される可能性があった。店舗存続がノルマ達成に直結する構造のもとで、一部のFCオーナーや従業員は、携帯電話の架空契約を行い「寝かせ」と呼ばれる手法でノルマを見かけ上達成する不正行為に手を染めた。2000年にこの問題が表面化し、光通信は20日連続のストップ安を記録する事態に陥った。
HIT SHOPの事例は、ストック型の収益構造が急拡大の合理性を担保する一方で、拡大を支えるFCオーナーに過度な圧力を構造的に生み出す両面性を持っていたことを示している。ストックコミッションが積み上がるほど既存契約の価値が増大し、新規獲得への投資を正当化する循環が生まれる。しかし末端のFCオーナーにとっては、この成長圧力が不正の誘因となり、成長の加速装置と崩壊の導火線が同一のビジネスモデルに内在する結果となった。