HIT SHOP問題(架空契約)
FC店舗での架空契約「寝かせ」が常態化して露呈
HIT SHOPには携帯電話の新規契約獲得に関して厳しいノルマが課せられていた。1816店の大半を占めるフランチャイズ店舗では、ノルマ未達の場合に光通信とのFC契約が解除される恐れがあったため、営業現場では不正な手法による見かけ上の契約達成が横行した。「寝かせ」と呼ばれる手法は、実際の利用者がいない携帯電話端末を契約し、携帯電話会社が課す違約金の支払い義務が生じる6ヶ月間を倉庫で保管してやり過ごすものであった。
2000年初頭にこの架空契約の実態が露呈し、光通信の社会的信頼は急速に失墜した。重田康光社長は当初「寝かせは代理店経営者が積極的に関与する可能性はない」「我々はむしろ被害者」と主張したが、架空契約がFC店舗の広い範囲で行われていた事実は否定できなかった。光通信がFCオーナーに課したノルマの構造自体が不正を誘発した側面があり、被害者という主張は市場には受け入れられなかった。
架空契約問題の影響は業績面にも波及し、2000年を通じて光通信は業績の下方修正を繰り返した。FC店舗で上積みされていた架空契約の剥落によって実態の契約数が大幅に縮小し、ストックコミッション収入の前提が崩れた。キャリアからの信頼も毀損され、HIT SHOPの事業基盤そのものが揺らぐ事態となった。
HIT SHOP2600店を閉鎖しFC方式から直営展開に回帰
光通信はHIT SHOPの大規模な店舗閉鎖を決断した。まず1041店舗の閉鎖に着手し、従来のFC方式から直営展開への切り戻しを進めた。最終的には直営店を含めて2600店が閉鎖され、2003年までに394店規模の「SHOP事業」として再スタートを図ることとなった。携帯電話販売チェーンとして全国展開していたHIT SHOPの大半が姿を消し、わずか数年前に構築した店舗網のほぼ全てを手放す結果となった。
大量閉店は多額の特別損失を伴った。2002年8月期には店舗閉鎖に伴う立退料として515億円を特別損失に計上した。さらに、光通信がインターネットバブル期に実行していたベンチャー投資についても、投資先企業の株価下落により103億円の投資損失引当金を計上した。HIT SHOPの閉鎖損とベンチャー投資の評価損を合わせて、光通信は特別損失として合計685億円を計上する事態に陥った。
しかし光通信が財務的な破綻を免れたのは、経営判断よりも保有資産の帰結による部分が大きい。損失補填のために光通信が選択したのは、バブル期に取得していたソフトバンク株式の売却であった。2000年8月期に投資有価証券売却益として800億円を計上し、HIT SHOPおよびベンチャー投資の損失685億円を相殺した。この結果、2000年8月期に光通信は50.7億円の当期純利益を確保し、赤字転落と破綻を回避した。
有利子負債を3年で2308億円から373億円に圧縮し再建開始
HIT SHOP問題を契機として、光通信は財務体質の抜本的な改善に着手した。2000年3月末時点で2308億円に達していた有利子負債は、社債の償還と借入金の返済によって2003年3月末までに373億円に圧縮された。店舗閉鎖に伴うキャッシュフローの改善分と、ソフトバンク株売却で得た資金が負債圧縮の原資となり、3年間で約1900億円の有利子負債を削減する急速な財務再建が実現した。
株価の暴落は光通信に甚大な打撃を与えた。2000年初頭に時価総額3兆円を突破していた光通信の株価は、架空契約問題の発覚後に20日連続のストップ安を記録し、約8ヶ月間で1/100の水準にまで暴落した。この株価崩壊は光通信一社にとどまらず、日本国内におけるインターネットバブル崩壊の引き金として位置づけられている。
HIT SHOP問題を経て、光通信は携帯電話の店舗販売から事実上撤退し、創業期の原点であった法人向けOA機器の訪問販売への回帰を選択した。2600店の閉鎖と394店への縮小は、FC方式による急拡大モデルの放棄を意味しており、光通信のビジネスモデルは店舗型の小売事業から営業人員による訪問販売へと構造的に転換した。この方針転換が、2003年以降の複写機営業強化と営業職の大量採用へとつながっていく。