株式会社光通信を設立
通信自由化で生まれた販売代理という事業機会
1988年2月、重田康光は日本大学を中退し4年間のアルバイト生活を経た後、23歳で光通信株式会社を設立した。創業の背景にあったのは、1985年のNTT民営化に始まる通信市場の自由化である。第二電電(現KDDI)をはじめとする新規事業者が相次いで市場に参入したが、各社とも自前の販売網を持たず、顧客への販売チャネルの確保を外部の代理店に依存していた。キャリアと顧客の間に立つ販売代理業に事業機会が生まれた時期に、重田は通信機器の訪問販売で起業した。
創業当初はホームテレホンの訪問販売から事業を開始し、半年後には第二電電と代理店契約を締結した。通信キャリアが開発した商品やサービスを、キャリアに代わって最終顧客に届ける代理店モデルは、自社で商品を開発・在庫する必要がなく、販売力のみで事業を成立させられる構造を持っていた。通信機器の普及率が急速に高まる1980年代後半において、販売チャネルの数と速度が市場シェアを左右する局面が続いており、営業人員を武器とする光通信の事業モデルは市場環境と合致していた。
OA機器の訪問販売とタウンページ530万社の営業基盤
1990年、光通信は通信機器の販売代理に加え、複写機やビジネス電話などOA機器の訪問販売に事業を拡大した。取り扱い製品は主にシャープ製であり、事務機市場でリコー・キヤノン・富士ゼロックスに対して下位に位置していたシャープとの間で販売パートナーシップを構築した。大企業向け直販網で劣後していたシャープにとっても、光通信が開拓する中小企業市場は競合大手が手薄な領域であり、両社の利害が合致する取引関係であった。
中小企業への営業においてアタックリストとして活用したのが、NTTが発行する電話帳「タウンページ」に掲載された約530万社の企業情報であった。公開情報であるため参入障壁は存在しなかったが、掲載企業に片端から電話をかけて訪問の約束を取り付け、対面で商品を販売するという手法を組織的に実行する企業は他にほとんどなかった。光通信はこのオープンデータを営業の起点とし、大手メーカーが個別にカバーするにはコストが見合わない中小企業の分散市場を、大量の営業人員で開拓する手法を確立した。