タカラトミーの決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

自ら作って自ら売る体制から、作る側を先に手放した。1970年に香港へ現地法人を設立したのを起点に、1977年からは各国に自社の販売会社を直接設立した。バイヤーに利益を吸い上げられ現地の情報も入らない輸出をやめ、香港・シンガポール・米国・西独へ自社の拠点を並べている。1985年のプラザ合意で2年のうちに対ドル120円まで円が急騰すると、輸出の6割を占めた北米向けが冷え込んだ。1986年11月、2工場を閉鎖して製造部門を分社し、同年12月には32歳の富山幹太郎氏が社長へ就任する。1991年11月には好調なうちにシンガポール生産から撤退した。工場を離した本社に残った企画・開発・販売の機能が、1998年のハスブロ、2000年のディズニーと他社の商品を国内で独占して扱う立場を可能にした。

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