関電工銚子風力開発への資本参加による発電事業への進出

造って引き渡す会社が、造ったものを持ち続ける側に回ると、損益計算書には何が増えるか

時期 2012年10月
意思決定者(推定) 水江博 社長
論点 施工請負から発電事業への業態の拡張
概要
2012年10月、関電工が銚子風力開発株式会社へ資本参加し、発電事業を始めた経営判断。同社が持つ銚子風力発電所と八木風力発電所は、いずれも千葉県銚子市にあり、2004年11月と2006年7月にすでに運転を始めていた設備であった。
背景
2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故を受け、東京電力の設備投資と関電工の受注は不安定になった。2012年3月期の連結売上高は4,418億円、当期純利益は19億円に落ち込んでいる。2012年7月には固定価格買取制度が施行された。
内容
資本金4億円の銚子風力開発の議決権90.0%を取得し、翌2013年3月には嘉麻太陽光発電㈱を設立した。2014年3月期から両社を連結の範囲に含め、あわせて戦略事業本部を新設して、再生可能エネルギー発電を運営する体制を社内に置いた。
含意
発電所は2024年3月末で19か所・66.6MWまで増えた一方、その他セグメントの発電事業では2024年3月期に33億円、2025年3月期に20億円の減損損失を計上している。工事代金と売電収入では、損益の現れ方が異なる。
筆者の見解

工期のある商売と、工期のない商売

施工の請負には終わりがある。工事を受け、造り、引き渡し、代金を受け取れば、その現場との関係は保証の期間を残して切れる。発電事業にはその終わりがない。風車は建てた日から二十年、三十年と回り、そのあいだ売電収入が入り続ける代わりに、修繕も、設備の劣化も、買取価格が切れたあとの採算も、すべて持ち主の側に残る。2012年10月の資本参加は、関電工がこの二つ目の時間の流れを自社の帳簿に取り込む判断であった。

損益の現れ方の違いは、十年余りで数字になった。工事の採算は完成のたびに確定するのに対し、発電設備の採算は将来の見通しが変わるたびに減損として跳ね返る。2024年3月期の33億円、2025年3月期の20億円という減損は、その計算のしかたの違いから生じている。それでも関電工は資産を手放さず、2024年7月には発電と新規事業を束ねる本部を置いた。2004年と2006年に銚子で運転を始めた2つの風力発電所は、取得から13年を経た2025年3月の発電所一覧にも、なお載っている。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

震災が揺らした受注の土台

2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故は、関電工の発注元をそのまま直撃した。東京電力は賠償と廃炉の負担を抱え、設備投資の計画は組み直しを迫られる。復旧工事と配電網の強化工事が新たに積み上がる一方で、平時の設備更新は先送りされた。2012年3月期の連結売上高は4,418億円、営業利益80億円、経常利益91億円、当期純利益19億円で、前期の4,625億円・純利益59億円から落ちている[1]

受注の中身が発注元の事情で入れ替わることは、この会社にとって珍しい話ではない。1944年の設立時に関東配電が資本参加して以来、工事量は発注元の設備計画に従ってきた。ただし震災後の変動は、これまでの景気循環による増減とは性質が違った。原子力発電所を前提に組まれていた東京電力の設備計画そのものが白紙になり、代わりに再生可能エネルギーの導入という別の柱が国の政策として立ち上がる。工事を待つ側から、自ら設備を持つ側へ回る余地がここで生まれた[2]

電気を貯める話は14年前からしていた

発電や蓄電への関心は、震災を待って生まれたものではない。1998年8月、当時の星野聰史社長は、夏のエアコン需要で跳ね上がる電力のピークをどう平らにするかを問われ、ナトリウム硫黄電池の実用試験に力を入れていると答えている。鉛蓄電池より電力の貯蔵密度が三倍高く軽い、屋外にしか設置できないがビルの地下に置けるようになれば予備電源としても使える、量産で価格が下がれば揚水発電の代わりにもなる、という説明であった[3]

この時点で語られていたのは、電力会社の設備を助ける技術としての蓄電であって、自社が電気を売る話ではない。関電工が電気の売り手に回る条件は、2012年7月の固定価格買取制度の施行で整った。再生可能エネルギーで起こした電気を一定の価格で一定の期間買い取る仕組みが法律で保証されれば、発電設備は工事の対象から投資の対象へ変わる。施工の技術を持つ会社にとって、自ら建てて自ら持つ選択肢が現実味を帯びた[4]

決断

新設ではなく、すでに回っている風車を買った

2012年10月、関電工は銚子風力開発株式会社に資本参加した。有価証券報告書の沿革は、この一行に「発電事業の開始」と添えている。相手は千葉県銚子市に本店を置く資本金4億円の会社で、関電工は議決権の90.0%を取得し、あわせて資金の貸付も行った。役員は5名が兼任している。設備工事業を営む会社が、施工の請負ではなく電気の販売を収入源とする会社を、傘下に迎えた[5][6]

買ったのは計画ではなく、すでに動いている設備であった。銚子風力開発が運営する銚子風力発電所は出力13,500kWで2004年11月に、八木風力発電所は9,000kWで2006年7月に、それぞれ運転を始めている。固定価格買取制度の施行から3か月後という時期に、8年前と6年前から回っていた風車を手に入れたことになる。発電事業への進出にあたって関電工が選んだのは、用地の確保や許認可の不確実さを抱えて一から建てる道ではなく、稼働実績のある設備を買って運営を引き受ける道であった[7]

連結の範囲へ入れ、本部を置いた

翌2013年3月、福岡県嘉麻市に嘉麻太陽光発電株式会社を設立した。風力に太陽光が加わり、2014年3月期からは銚子風力開発と嘉麻太陽光発電の2社が連結の範囲に含まれた。有価証券報告書は、その理由をグループにおける発電事業の重要性が増したためと記している。同じ年度に、関電工は太陽光発電事業を自社でも始め、再生可能エネルギー発電を含む新規事業の運営体制を強化するために戦略事業本部を新設した[8]

電気の売り先は、工事の発注元と同じであった。有価証券報告書は、関電工と銚子風力開発の2社が東京電力へ電力を販売していると記している。工事代金を受け取る関係の上に、電気の代金を受け取る関係が重なった。1944年に発注元を株主として迎えた会社が、68年後には同じ相手に売る商品を工事以外にも持った。取引の相手を替えたわけではなく、相手に渡すものを一つ増やした判断にあたる[9]

結果

19か所・66.6MWまで積み上げた

発電所はその後も増えた。2013年5月の白岡太陽光発電所を皮切りに太陽光が各地に並び、2015年6月には前橋バイオマス発電株式会社を設立してバイオマスが加わり、2020年5月には新潟県の上結東水力発電所が動き始めた。2024年3月31日時点で再生可能エネルギー発電所は19か所、総発電設備容量は66.6MWとなっている。2025年3月現在の一覧では、太陽光12か所、風力2か所、水力3か所、バイオマス1か所で合計66,690kW、建設中の飯岡風力発電所を含めると74,190kWにあたる[10][11]

規模の割に、損益への貢献は小さい。2025年3月期の連結売上高6,718億円のうち、設備工事業が6,608億円を占め、電気機器販売業・不動産事業・リース業・発電事業をまとめた「その他」の外部顧客向け売上高は110億円であった。セグメント利益も設備工事業563億円に対し、その他は19億円にとどまる。総発電設備容量66.6MWという数字は、施工会社としての本体の規模に対して、まだ小さな比重に置かれている[12]

減損という代価

持ち続けることの代価は、減損の形で表れた。報告セグメントごとの固定資産の減損損失は、2024年3月期に設備工事業2億円に対しその他33億円、2025年3月期に設備工事業2億円に対しその他20億円で、有価証券報告書はいずれも「その他」の金額を発電事業に係るものと注記している。さらに2024年3月期の単体では、発電事業を営む連結子会社への支援に備えて関係会社支援引当金繰入額を計上した[13][14]

それでも撤退の判断は取られていない。2024年7月、関電工は再生可能エネルギー発電事業とグリーンイノベーションに資する新規事業の開発・運営機能を統合したグリーンイノベーション本部を新設した。2012年に置かれた戦略事業本部から数えて12年、発電を含む新領域は組織の格を上げている。2025年に公表した中期経営計画「Milestone2030」は、2030年度に売上高8,000億円・営業利益600億円、温室効果ガス排出量を2020年度比50%削減する目標を掲げた[15][16]

出典・参考
  • 関電工 有価証券報告書【沿革】
  • 関電工 有価証券報告書(2014年3月期)【関係会社の状況】【事業の内容】
  • 関電工 有価証券報告書(2025年3月期)【セグメント情報】【個別注記】
  • 関電工「関電工グループの再生可能エネルギー発電所一覧」(2025年3月現在)
  • 関電工 統合報告書2024
  • 関電工 中期経営計画(Milestone2030, 2025年)
  • 週刊東洋経済 1998年8月22日号「[ザ・トーク]シュルンベルジュ・穴山為康社長/関電工・星野聰史社長」

免責事項およびポリシー