後発が2強に追いつく道として日立建機が選んだのは、機械本体の性能競争ではなく、摩耗して交換される部品であった。大型ダンプのシェアが10%弱で足踏みしていた会社が、4年に一度のオーバーホールで確実に生じる需要を先に押さえに行ったのは、本体で優位に立てない年月の稼ぎ方を用意する動きだっただろう。主要鉱物の価格が10年来の最低水準にあり、本社で早期退職を募集していた同じ時期に約800億円を投じた点に、この判断の性格が表れている。
ただ、消耗部品なら景気に強いという読みは、半分しか当たらなかった。ブラッドケンではノンコア事業の売却で140億円の構造改革費用が出て、H-Eパーツは米州と中南米の競争で計画を下回った。部品も再生も現場の近くで値段を競う商売であり、トップブランドを取得した時点で完成する事業ではなかったといえる。それでも、買った2社の主戦場が米国とオーストラリアであったことは、米州売上比率が24%へ上がる展開と噛み合った。中国が消えた後の稼ぎ場所を資源国と米州へ置き換える作業を、部品会社の取得から先に始めていたとみられる。