1976年に膜の製造を開始した時点で、海水淡水化の市場は存在していなかった。主流は蒸発法で、膜は塩分除去の性能でも造水コストでも劣っていた。それでも続けられたのは、半導体・液晶向けの純水という取引価格の高い用途が発達途上の膜の採算を確保できたためで、電子材料を持つ会社であったことが水の事業を支えたのだろう。薄い膜はメディカルにも公害防止にもエレクトロニクスにも用途を持ち、その広さが時間を稼ぐ役割を果たしたといえる。
ただ、買った会社は即戦力にならなかった。ハイドロノーティクスは特許問題で販売を縛られ、買収から6年後の1993年にも赤字であった。制約が解けた後にその米国の人脈が豪州の大型案件で効いた経緯をみれば、この買収の値打ちが出るまでには20年余りを要していた。逆浸透膜は基本特許が1999年に満期を迎え、寸法が業界標準で決まる規格品でもある。中国のヴォントロン社が同水準の脱塩率を掲げた事実に照らせば、海水淡水化での首位は技術の優位そのものではなく、更新を止めないことで保たれているだろう。