日東電工高分子分離膜への参入と、米ハイドロノーティクスの買収
電気と無縁の水処理へ高分子技術をどう持ち出すか——市場が育つ前に始めた膜事業
- 概要
- 1987年11月、日東電気工業は米ハイドロノーティクスを買収し、1976年4月に製造を始めた高分子分離膜を海外の販路ごと引き受ける形で水処理の事業に据えた。粘着と絶縁で培った高分子技術を、電気と関わりのない水の分野へ持ち出した投資であった。
- 背景
- 1973年10月の講演で土方三郎副社長は、薄い膜の研究がメディカルにも公害防止にもエレクトロニクスにも通じると述べ、汚水処理では神戸製鋼との共同開発に触れていた。当時の海水淡水化の主流は蒸発法で、膜による濾過は塩分除去性能でも造水コストでも劣っていた。
- 内容
- 1976年4月に高分子分離膜の製造を開始し、1986年4月には高分子膜とバイオリアクターの生産を担う滋賀工場を草津市に建てる。翌1987年11月に逆浸透膜の専業メーカーである米ハイドロノーティクスを買収し、1989年までに米国3社の買収を重ねた。
- 含意
- 買収したハイドロノーティクスは特許問題で販売を制約され、1993年時点でも赤字であった。米最高裁の判決で制約が解けた後、その米国の人脈が大型案件で働き、2012年には海水淡水化用の逆浸透膜で世界首位、膜全体では米ダウ・ケミカルに次ぐ2位となった。
市場が来る前に始めた事業の勘定
1976年に膜の製造を始めた時点で、海水淡水化の市場は存在していなかった。主流は蒸発法で、膜は塩分除去の性能でも造水コストでも劣っていた。それでも続けられたのは、半導体・液晶向けの純水という取引価格の高い用途が発達途上の膜を採算に乗せたためで、電子材料を持つ会社であったことが水の事業を支えたとみられる。1973年に土方三郎副社長が薄い膜をメディカルにも公害防止にもエレクトロニクスにもなると語った見立ては、用途の広さが時間を稼ぐ形で当たったといえる。
ただ、買った会社は即戦力にならなかった。ハイドロノーティクスは特許問題で販売を縛られ、買収から6年後の1993年にも赤字であった。制約が解けた後にその米国の人脈が豪州の大型案件で効いた経緯をみれば、この買収の値打ちが出るまでには20年余りを要していた。逆浸透膜は基本特許が1999年に満期を迎え、寸法が業界標準で決まる規格品でもある。中国のヴォントロン社が同水準の脱塩率を掲げた事実に照らせば、海水淡水化での首位は技術の優位そのものではなく、更新を止めないことで保たれているとみることができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
用途の広い「薄い膜」という研究テーマ
膜は事業になる前に研究テーマとして語られていた。土方三郎副社長は1973年10月の講演で、社内で薄い膜の研究調査を進めており、これができればメディカルの材料にも公害防止やエレクトロニクスの材料にもなると述べている。同じ講演では公害防止の分野として、自社の膜を使う汚水処理の特殊なものを神戸製鋼と共同開発していることにも触れた。一つの技術を複数の分野へ振り向ける前提で、膜が選ばれていた[1]。
1976年4月、日東電気工業は高分子分離膜の製造を始める。もっとも当時の海水淡水化の主流は海水を気化させて凝縮する蒸発法で、膜による濾過は塩分除去の性能でも造水コストでも著しく劣っていた。膜が世界で本格的に海水淡水化へ使われるのは2000年代前半のことである。事業を支えたのは半導体・液晶の製造に使う純水で、取引価格が高いために発達途上の膜でも採算が合った[2][3]。
決断
専門工場を建て、米国の専業メーカーを買う
自社開発を続ける一方で、生産の場が整えられた。1986年4月、高分子膜とバイオリアクターの生産を受け持つ滋賀工場を草津市に建設し、膜を専門に扱う工場を持つ体制になる。当時の会社は1987年3月期に売上高約1,246億円・経常利益約130億円を挙げ、売上高経常利益率は10.4%であった。本業で利益を出している時期に、まだ市場の見えない分野へ設備を置いたことになる[4][5]。
1987年11月、日東電気工業は米ハイドロノーティクスを買収した。サンディエゴにある逆浸透膜の専門工場で、自社が開発してきた膜に、米国での販路と実績が重なる。浅田常夫常務取締役の1993年の説明によれば、この買収を含めて1987年から1989年にかけて米国で3社を買っており、カンサスのGTI社はバーコード、ニュージャージーのパーマセル社は粘着テープの工場であった。膜の買収は、米国での買収を並行して進めた時期の一つにあたる[6][7]。
結果
買収から6年後も赤字だった会社
買収した会社はすぐには稼がなかった。浅田常夫常務取締役は1993年11月の講演で、ハイドロノーティクス社は分離膜の専門工場ながら特許問題で販売を制約され赤字であったと述べ、同年10月に米最高裁の判決が出て一応の解決を見たため自由に販売できるようになったと説明している。買収から6年を経て、なお業績の回復を急ぐ段階であった[8]。
販売の制約が解けた後、この米国子会社は水処理事業の中枢を担った。2011年に稼働した造水量で世界第2位の豪ヴィクトリア州の海水淡水化プラント(日量44万トン)では日東電工が逆浸透膜を納入し、菊岡稔メンブレン事業部長は米国の本部が持つ広範な人脈と営業網が働いたと説明している。プラントの計画は水処理コンサルタント会社が担うため、その関係の蓄積が受注を左右した[9]。
海水淡水化での首位と、規格品という弱み
参入から35年を経た2012年、逆浸透膜の世界市場は年約600億円で、日東電工は米ダウ・ケミカルに次ぐ2位、海水淡水化の用途に絞れば世界首位にあった。アルジェリアへ納入した膜は約70万トンで、生活用水に換算すれば300万〜500万人分に当たる。技術面で最も進んだのは膜を使うときの省電力化で、20年近くをかけて電力コストを当初の約4分の1へ下げている。先行した米国企業の多くは早い段階で手を引いていた[10][11]。
一方で、この事業の参入障壁は高くない。業界標準のポリアミド型逆浸透膜の基本特許は1979年に出願され1999年に満期を迎えており、半導体のような巨額の設備も要らない。日東電工が2009年に滋賀へ建てた新工場は生産能力を1.6倍にしたが、投資額は60億円程度であった。モジュールの寸法は業界標準で決まり、耐用年数の8年が過ぎれば他社製と入れ替えられる。中国のヴォントロン社は日東電工と同水準の脱塩率を掲げていた[12]。
- 証券アナリストジャーナル 1973年 第11巻第11号「日東電気工業 材料技術のブレーン」(土方三郎 副社長 講演要旨)
- 証券アナリストジャーナル 1993年 第31巻第12号「日東電工」(浅田常夫 常務取締役 講演要旨)
- 日経ビジネス 1987年6月22日号「日東電気工業のバイオ分野拡充 高分子技術の応用で、即戦力に」
- 週刊東洋経済 2010年9月11日号「日本企業は本当に安泰か 激化する「膜」の覇権争い」
- 週刊東洋経済 2012年3月13日号「1000分の1ミリの穴で海水を淡水に変える 日東電工の海水淡水化膜」
- 日東電工 有価証券報告書(2025年3月期)【沿革】