決断
原料の産地を失うたびに、その原料を合成でつくり直してきた。出発点は台湾の樟脳副産油で、1927年4月の鈴木商店の倒産で年産約3,000トンの販売が自由になると、オゾン酸化法を用いて1928年にバニリン、1929年に台湾赤油のサフロールを原料とするヘリオトロピンを創製した。1935年5月に台北工場を開設し、1938年7月には本社まで台北へ移す。敗戦で台北工場を失うと、1947年3月に平塚の旧海軍相模工廠化学実験部を工場へ転用し、インドネシアから輸入したシトロネラ油へ原料を替えた。そのシトロネラ油も精油の高騰で使えなくなり、石油化学品のチモールを原料とする光学分割法へ移る。1970年代に石油危機で合成品の採算が崩れると、目的の異性体だけを選んで作る不斉合成の開発に入った。