1998年の判断は、新しい商品を開発したものでも、新しい市場を発見したものでもない。競売という既存の売却手続が使いやすくなったという制度の変化を、自社の仕入先の設計に読み替えただけである。ただ、その読み替えができたのは、石材業から不動産売買、戸建販売、賃貸へと本業を替え続けてきた会社だったことと無縁ではない。守るべき祖業を持たない事業者ほど、外の条件が動いたときに身を寄せる先を選び直しやすいと思われる。
この事業がのちに強かったのは、安く仕入れられたからというより、他社が嫌う後始末を値段に織り込む計算を続けたからであった。占有の調整も家財の処分も、一件ごとに手間が違い、量をこなさなければ相場観が育たない。制度が開いた入口はすべての事業者に等しく開かれていたはずで、そこに残ったのが手間を引き受けた側であったという事実は、参入障壁が制度ではなく実務の積み上げに宿ることを示している。競売への依存を後年みずから薄めたあとも、この計算の型だけは残った。