昭和飛行機工業米軍返還地・約40万坪の分譲の不採用と、不動産賃貸業への進出

工場に戻すか、売るか、貸すか——返還された飛行場跡地40万坪の使い道

時期 1976年7月
意思決定者(推定) 取締役会
論点 返還地の使い道と収益源の組み替え
概要
1969年8月に米軍から返還された昭島の約40万坪について、昭和飛行機工業が工場用地への復帰も宅地分譲も選ばず、1976年7月に賃貸を目的とする不動産業務を始め、以後2015年まで自社で施設を建てて貸し続けた経営判断である。
背景
返還地は滑走路を敷けるほどの一区画で、JR青梅線の昭島駅から歩ける距離にあった。金属ハニカムと特装車を作る本業が使う面積は敷地の一部にとどまる一方、新宿まで40分という立地は宅地として売り出す条件も備えていた。
内容
容積率をいたずらに上げず、道路計画を作って街区ごと整える方針を採り、分譲による短期の利益は狙わなかった。1984年のモリタウン、1998年のフォレスト・イン昭和館、2015年のモリパークアウトドアヴィレッジと施設を建て、運営は施設ごとの子会社に分けた。
含意
2019年3月期には不動産賃貸事業の営業利益23億8,000万円が連結営業利益23億9,000万円のほぼ全額を占め、賃料がホテル・レジャーの赤字と薄利の製造を支えた。一方、簿価に据え置かれた含み益は社外からも見えるものであった。
筆者の見解

売らずに貸すという算段

約40万坪が一度に戻ってきたとき、工場に戻せる面積は本業の必要をはるかに超えていた。金属ハニカムと特装車を作る会社には広すぎ、宅地として分譲すれば代金は一度で入る。昭和飛行機工業がそれを採らず、容積率を抑えて道路を敷き、貸す側に回ったのは、土地を売り物ではなく収益源として数える算段が立っていたからである。2019年3月期に不動産賃貸事業の営業利益23億8,000万円が連結営業利益のほぼ全額を占めた事実が、その算段の答えにあたる。

同じ期の輸送用機器関連事業は売上高101億2,000万円に対し営業利益3億8,000万円、ホテル・スポーツ・レジャー事業は3億9,000万円の営業損失で、賃料がその不足を埋める形が定着していた。簿価に据え置かれた土地の含み益は、社外から見れば取り出せる価値であった。貸し続ける選択は会社を40年余り支え、同じ選択が土地ごと買う相手を呼び込む理由になった。

Yutaka Sugiura, 2026年8月

背景

24年を経て戻ってきた約40万坪

昭和飛行機工業は1937年6月に設立され、輸送機のライセンス生産のため、当時の昭和村と拝島村、砂川村にまたがる飛行場併設の工場を建てた。その飛行場は戦後に米軍が接収し、返還されたのは1969年8月である。戻ってきた昭島の敷地は約40万坪におよび、滑走路を敷けるだけの平地が、JR青梅線の昭島駅から歩ける距離にひとまとまりで残った。終戦から24年が経っていた[1][2]

返還を受けて会社がまず置いたのは、工場ではなくパブリックゴルフ場であった。有価証券報告書の沿革は、飛行場地域の返還と同じ1969年8月の項に、返還施設へのゴルフ場開設を並べて記している。跡地は昭和の森ゴルフコースとして運営され、隣接する400ヤードの練習場は敷地の広さを生かして両側に打席を設けた。返還初年の使い道が本業の外に置かれた点は、その後の方向を示している[3][4]

本業が使う面積と、宅地としての条件

返還を受けた当時の本業は、航空機部材と輸送用機器であった。1960年1月に米国ヘキセル社と金属ハニカムの技術援助契約を結んで製造を始め、同年11月には日野自動車工業とトラック組立業務契約を交わしている。1967年2月には独スピッツァ社との技術援助契約で粉粒体バルク車の製造に入った。敷地内にはこれらの工場と倉庫が置かれたが、それ以外の区画には商業施設やホテル、スポーツレジャー施設が段階的に整えられた[5][6]

一方、宅地として売り出す条件も返還地のまわりにそろっていた。昭島市は立川市の西部に隣接し、市の北側を玉川上水が流れ、南側は多摩川に接する。中央部を東西に走るJR青梅線は、拝島駅で八高線と五日市線、西武鉄道拝島線に合流する。昭島駅から新宿駅までは中央線青梅特別快速で40分前後、東京駅までは50分前後で結ばれた。分譲用地としての引き合いが立たない土地ではなかった[7]

決断

分譲せず、貸す側に回る

返還から7年後の1976年7月、昭和飛行機工業は賃貸を目的とする不動産業務を始めた。跡地を工場用地に戻すのでも、宅地として売り払うのでもなく、自社で持ったまま貸す形を採っている。開発にあたって会社は容積率をいたずらに上げることをせず、豊かな自然環境を生かし、整った道路計画を作って街のインフラ造りに寄与した。区画を細かく割って建て込ませるより、街区として整える方向であった[8][9]

戸建て住宅やマンションとして分譲すれば短期の利益は出たが、会社はその道を選ばなかった。分譲すれば代金は一度きりで、土地は区画ごとに他人のものになり、あとから使い方を変えることもできない。貸せば賃料が毎期入り、建て替えや用途の変更もあとから自社で決められる。滑走路を敷けるほどの一区画を細切れにせず、まとめて持ち続けたことが、その後の施設整備の前提になったとみられる[10]

施設を建て、子会社に運営させる

賃貸の対象は、やがて自社で建てた施設へ広がった。1984年4月、昭島駅北口に大型ショッピングセンターのモリタウンを建設して賃貸を始め、1998年11月には都市型リゾートホテルのフォレスト・イン昭和館を開業した。2004年10月にモリタウンを増床してリニューアル開業し、2015年3月には複合商業施設のモリパークアウトドアヴィレッジを建てて賃貸を開始した。返還から46年をかけて、駅前の街区が一区画ずつ埋まった[11]

運営は施設ごとに別の子会社へ預けた。1982年4月に昭和ビル管理、2002年8月にアーバンリゾーツ昭和の森、2004年5月に昭和の森ライフサービスを設立し、同年6月にはアーバンリゾーツ昭和の森が全額出資でハーレーダビッドソン昭和の森を設けている。二輪販売店の代表には、系列ホテルのフォレスト・イン昭和館の立ち上げを担った福持克之助氏が就き、開店から1年で180台を売った。土地を貸すだけでなく、借り手の側も自前で用意した[12][13]

結果

利益を生む中心が賃貸へ移った

2019年3月期の連結セグメントでは、不動産賃貸事業が売上高70億5,000万円に対して営業利益23億8,000万円を上げた。同じ期の連結営業利益は23億9,000万円であり、賃貸事業ひとつでそのほぼ全額を賄った。売上高が最も大きいのは祖業に連なる輸送用機器関連事業の101億2,000万円であったが、その営業利益は3億8,000万円にとどまっている[14][15]

資産の置かれ方も同じ方向を指していた。不動産賃貸事業のセグメント資産は277億7,000万円で、輸送用機器関連事業の114億6,000万円の2倍を超える。ホテル・スポーツ・レジャー事業は売上高45億1,000万円に対して3億9,000万円の営業損失、物販事業は売上高32億3,000万円に営業利益7,900万円であった。赤字の施設運営と薄利の製造を抱えたまま連結経常利益22億円が成り立ったのは、賃料が下支えしたためである[16]

簿価に据え置かれた土地

貸し続けた土地は、帳簿の上では低い価額のまま据え置かれた。2019年3月末時点の簿価は、昭和の森ゴルフコースと隣接する練習場およびホテルで約88億円、昭島駅前のショッピングモールで160億円、市内の輸送機器製造工場で41億円である。大阪市内の自動車教習所も100億円で計上されていた。売らずに貸す選択は、含み益を会社の中に積み上げる選択でもあった[17]

簿価と実勢の差は、会社の外から見えるものでもあった。2020年3月にベインキャピタルの公開買付けが成立し、同年4月20日に上場が廃止された。翌2021年2月には昭和の森ゴルフコースと隣接する練習場、ホテルが日本GLPの組成したファンドへ渡っている。受け皿となった特別目的会社の決算公告には、特定資産として1,256億円が計上されている。簿価約88億円の3施設に付いた値であった[18][19]

出典・参考
  • 週刊東洋経済 2021年1月23日号「人が集まる街、逃げる街 第157回 昭島市 東京都 飛行場跡地が自然豊かな住みよい街に」
  • 週刊東洋経済 2006年9月30日号「マーケティングの達人に会いたい 第146回 ハーレーダビッドソン昭和の森 異業種の視点から生まれたバイクの店」
  • 週刊東洋経済 2022年6月25日号「特集 不動産争奪戦 PART1 「割安」日本を買いあされ 外資の戦略眼3 会社資産 「会社ごと」買われる不動産」
  • 昭和飛行機工業 有価証券報告書【沿革】
  • 昭和飛行機工業 有価証券報告書(2019年3月期・連結)
  • 日本取引所グループ「上場廃止等の決定:昭和飛行機工業(株)」2020年3月18日

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