新明和工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

航空機を作れなくなった会社は、社名から川西と航空機を外し、民需の製品に事業を移した。終戦までの17年間、川西航空機は鳴尾や宝塚など6工場で海軍機を製作していた。敗戦後に航空機の生産事業が全面的に禁止されると、1946年7月に川西モーターサービス部を設け、1947年1月には商号を明和興業に改めた。明和興業は自動二輪車、三輪車、農業用の石油発動機、動力脱穀機を製造した。飛行艇と戦闘機で積んだ機械加工の設備と人を、民需の製品に振り向けて会社を残した転換だった。

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