新明和工業:川西機械製作所の設立と「紫電改」の完成
1920年〜日本飛行機製作所を組み替えた川西機械製作所と、資本金500万円で分かれた川西航空機
新明和工業の起点は、1918年5月に航空機を製作する目的で設立された日本飛行機製作所である。1968年刊の企業史は、この会社を日本で最初の民間の航空機企業と位置づけた。1920年2月、日本飛行機製作所は川西機械製作所へ改組。新明和工業は有価証券報告書の沿革で、この川西機械製作所の設立を最初の行に置いた。2020年2月に出したグループ報の別冊も、2020年を創業100周年の年と位置づけた。航空機の事業は機械製作所の中の航空機部として残り、のちの川西航空機の母体になった。航空機の製作だけでは事業を支えにくく、機械製作の会社の一部門に収めて続けたと推察される。
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [1]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [2]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [3]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [6]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [4]沿革の初行: 1920年2月 川西機械製作所設立
- 新明和グループ報 創業100周年記念特別号 別冊「受け継ぐこと、変えること Vol.1 創業から5つの事業が生まれるまで」2020年2月1日
- [5]2020年に新明和グループが創業100周年を迎える(発行日 2020年2月1日)
1928年11月、川西機械製作所は航空機部を分離して独立させ、資本金500万円の川西航空機を発足させた。川西航空機は航空機部の事業を継承し、同じ500万円の資本金で設立された会社だった。発足から終戦までの17年間、川西航空機は海軍の航空機の製作を手がけた。1962年に新明和工業が上場した際の紹介記事でも、前身は1928年設立の川西航空機とされている。1962年11月に定めた社章のMは、新明和の「明」をローマ字にしたものであると同時に、前身の川西航空機の「川」も表した。機械製作所の一部門のままでは、海軍の受注に応じる設備と資金を航空機に集中しにくかったと思われる。
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [7]1928年11月 川西機械製作所の航空機部を分離独立、資本金500万円の川西航空機として発足。1962年11月制定の社章のMは新明和の「明」をローマ字化したもので、前身の川西航空の「川」も表す
- [11]1928年11月 川西機械製作所の航空機部を分離独立、資本金500万円の川西航空機として発足。1962年11月制定の社章のMは新明和の「明」をローマ字化したもので、前身の川西航空の「川」も表す
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [8]川西航空機は1928年11月に航空機部を継承し資本金500万円で設立。終戦までの17年間、海軍機の製作に従事
- [9]川西航空機は1928年11月に航空機部を継承し資本金500万円で設立。終戦までの17年間、海軍機の製作に従事
- 証券 1962年 14(9)
- [10]同社の前身は1928年設立の川西航空機
参考文献[1]-[11]
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [1]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [2]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [3]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [6]1918年5月 航空機製作のため日本初の民間企業として日本飛行機製作所を設立。1920年2月 川西機械製作所に組織変更し、川西航空機の母体となる
- [7]1928年11月 川西機械製作所の航空機部を分離独立、資本金500万円の川西航空機として発足。1962年11月制定の社章のMは新明和の「明」をローマ字化したもので、前身の川西航空の「川」も表す
- [11]1928年11月 川西機械製作所の航空機部を分離独立、資本金500万円の川西航空機として発足。1962年11月制定の社章のMは新明和の「明」をローマ字化したもので、前身の川西航空の「川」も表す
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [4]沿革の初行: 1920年2月 川西機械製作所設立
- 新明和グループ報 創業100周年記念特別号 別冊「受け継ぐこと、変えること Vol.1 創業から5つの事業が生まれるまで」2020年2月1日
- [5]2020年に新明和グループが創業100周年を迎える(発行日 2020年2月1日)
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [8]川西航空機は1928年11月に航空機部を継承し資本金500万円で設立。終戦までの17年間、海軍機の製作に従事
- [9]川西航空機は1928年11月に航空機部を継承し資本金500万円で設立。終戦までの17年間、海軍機の製作に従事
- 証券 1962年 14(9)
- [10]同社の前身は1928年設立の川西航空機
1929年〜二式飛行艇と紫電改を送り出した7万7400人の工場と、明和興業への改称
1940年12月、川西航空機は十三試大型飛行艇の名で試作した機体を「二式飛行艇」として完成させた。続いて1941年12月に宝塚製作所、1942年2月に甲南製作所と、生産拠点を相次いで開設。終戦までに、工場は鳴尾、甲南、宝塚、福知山、姫路、布施の6つになった。1968年刊の企業史は、終戦までの製品の筆頭に二式大型飛行艇を挙げた。同じ企業史は、戦後の1962年12月に国産の実験飛行艇UF-XSの試験飛行に至ったことも記した。大型飛行艇の設計と製作で積んだ技術が、戦後に飛行艇の開発を再開する素地になったと考えられる。
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [12]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1941年12月 宝塚製作所開設。1942年2月 甲南製作所開設
- [13]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1941年12月 宝塚製作所開設。1942年2月 甲南製作所開設
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [14]終戦までに鳴尾・甲南・宝塚・福知山・姫路・布施の6工場を擁した
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [15]終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等を製作。1962年12月 国産実験飛行艇UF-XSの試験飛行
- [16]終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等を製作。1962年12月 国産実験飛行艇UF-XSの試験飛行
1943年12月、川西航空機は局地戦闘機「紫電改」を完成させた。1940年12月の二式飛行艇の完成から3年で、海軍向けの機体を飛行艇から戦闘機にまで広げたことになる。工場と人員も膨らみ、敗戦の月の1945年8月には6事業所で7万7400人の従業員を抱えた。1968年刊の企業史によると、終戦までに製作した航空機は二式大型飛行艇と紫電改戦闘機を含めて2866機にのぼった。1928年の発足から終戦までの17年間、川西航空機の仕事はいずれも海軍機の製作だった。戦局が悪化するなかで、迎撃に当たる戦闘機を海軍が急いで求めたためとみられる。
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [17]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1943年12月 局地戦闘機「紫電改」完成
- [18]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1943年12月 局地戦闘機「紫電改」完成
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [19]1945年8月 6事業所・従業員7万7400人。終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等2866機を製作
- [20]1945年8月 6事業所・従業員7万7400人。終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等2866機を製作
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [21]終戦までの17年間、6工場で海軍機の製作に従事
敗戦後、航空機の生産事業が全面的に禁止され、川西航空機は民需の製品へ事業を転換した。これに先立つ1946年7月、川西航空機は川西モーターサービス部を設けた。1947年1月、川西航空機は商号を明和興業に改めた。明和興業の製品は自動二輪車、三輪車、農業用の石油発動機、動力脱穀機。1962年の新規上場の紹介記事も、二輪車と農機具の民需で再出発した経緯を記した。社名から航空機の語を外したのは、民需の会社として事業を続ける意思を示すためだったのだろう。
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [22]航空機生産事業の全面禁止により民需事業に転換、社名を明和興業に変更
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [23]1946年7月 川西モーターサービス部設置。1947年1月 川西航空機が明和興業に商号変更
- [24]1946年7月 川西モーターサービス部設置。1947年1月 川西航空機が明和興業に商号変更
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [25]終戦後平和産業に転換し、明和興業と改称。自動二輪車・三輪車・農業用石油発動機・動力脱穀機を製造
- 証券 1962年 14(9)
- [26]戦後の航空機生産事業の全面的な休止により、二輪車・農機具等の民需事業で再出発
参考文献[12]-[26]
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- [12]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1941年12月 宝塚製作所開設。1942年2月 甲南製作所開設
- [13]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1941年12月 宝塚製作所開設。1942年2月 甲南製作所開設
- [17]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1943年12月 局地戦闘機「紫電改」完成
- [18]1940年12月 川西十三試大型飛行艇「二式飛行艇」完成。1943年12月 局地戦闘機「紫電改」完成
- [23]1946年7月 川西モーターサービス部設置。1947年1月 川西航空機が明和興業に商号変更
- [24]1946年7月 川西モーターサービス部設置。1947年1月 川西航空機が明和興業に商号変更
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- [14]終戦までに鳴尾・甲南・宝塚・福知山・姫路・布施の6工場を擁した
- [21]終戦までの17年間、6工場で海軍機の製作に従事
- [25]終戦後平和産業に転換し、明和興業と改称。自動二輪車・三輪車・農業用石油発動機・動力脱穀機を製造
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- [15]終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等を製作。1962年12月 国産実験飛行艇UF-XSの試験飛行
- [16]終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等を製作。1962年12月 国産実験飛行艇UF-XSの試験飛行
- [19]1945年8月 6事業所・従業員7万7400人。終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等2866機を製作
- [20]1945年8月 6事業所・従業員7万7400人。終戦までに二式大型飛行艇・紫電改戦闘機等2866機を製作
- [22]航空機生産事業の全面禁止により民需事業に転換、社名を明和興業に変更
- 証券 1962年 14(9)
- [26]戦後の航空機生産事業の全面的な休止により、二輪車・農機具等の民需事業で再出発
出典・参考
5件
- 新明和工業 有価証券報告書【沿革】
- 会社銀行八十年史 1955「新明和興業」
- 企業の歴史 明治百年 1968「新明和工業」
- 証券 1962年 14(9)
- 新明和グループ報 創業100周年記念特別号 別冊「受け継ぐこと、変えること Vol.1 創業から5つの事業が生まれるまで」2020年2月1日