モリタHDの歴史
沿革
1907年に森田正作氏が設立した火防協会が起源。
1910年に日本初のガソリン・エンジン付き消防ポンプを、1917年に日本初の国産消防ポンプ自動車を完成させた。消防車を主力に防災・産業機械を手がけるメーカーで、売上高は1,117億円。
1907年〜森田正作の火防協会設立と日本初の国産消防ポンプ自動車
- 森田正作氏が火防協会を設立[1]
- 日本初のガソリン・エンジン付き消防ポンプを完成[1]
- 森田製作所に商号変更[1]
- 日本初の国産消防ポンプ自動車を完成[1]
- 森田ガソリン喞筒製作所を設立[1]
- 売上高
筆者所見
森田正作氏の創業は、消防器具の製造業というより、火防の啓発を掲げた組織として始まった。1907年に森田正作氏が火防協会を設立し、1910年に日本初のガソリン・エンジン付き消防ポンプを完成させた[1]。啓発の組織が先に立ち、製品が後を追った順序は、需要を自ら掘り起こす事業の性格を示している。1917年には日本初の国産消防ポンプ自動車を完成させた[1]。輸入品の代替にとどまらず国産の初号機を重ねた実績が、国産の消防機器メーカーの信用の起点になった。
- [1]モリタホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1939年〜森田喞筒工業への改称と消火器による防災事業への参入
- 森田喞筒工業に商号変更[1]
- 森田ポンプ北海道製作所を設立[2]
- 生野工場を新設[1]
- 森田ポンプサービス工場(現モリタエコノス)を設立[1]
- 本店を大阪市生野区に移転[1]
- 消火器等の防災事業に参入[1]
- 森田ポンプに商号変更[1]
- 売上高
筆者所見
1939〜1972年の森田は、消防車の専業から防災の総合メーカーへ顧客の裾野を広げた。1960年9月に消火器等の防災事業に参入し、翌1961年3月に森田ポンプへ商号を改めた[1]。消火器への参入は、消防車とは別の売り先を持つ製品への展開だった。消防ポンプで築いた名声を民間向けの製品に転用した点に、参入の勝算があった。社名から「喞筒」を外した改称は、ポンプの会社という自己規定を平易な言葉へ置き換える意味も持った。
- [1]モリタホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)
1973年〜大証二部上場と宮田工業の資本業務提携
- 大阪証券取引所市場第二部に上場[1]
- 東京証券取引所市場第二部に上場[1]
- 東京証券取引所・大阪証券取引所の市場第一部に指定替え[1]
- 三田工場を新設[1]
- リサイクル処理施設等の産業機械事業に参入[1]
- モリタに商号変更[1]
- 大阪・東京の2本社制を導入[1]
- 宮田工業と資本業務提携[1]
- オート電子・近畿モリタ・南関東モリタが合併しモリタテクノスに[1]
- 売上高
筆者所見
1973〜2007年のモリタは、上場で得た信用を消防の外への進出に充てた。1980年4月に東証・大証の第一部へ指定替えとなり、1994年4月にリサイクル処理施設等の産業機械事業に参入した[1]。自治体の予算に左右される消防車に対し、環境分野への進出は収益源を複線にする試みと言える。2001年8月の宮田工業との資本業務提携は、反対に本業の防災で同業と手を結ぶ一手だった[1]。外への分散と内での集約を並べた構図が、2008年以降の再編を先取りしている。
- [1]モリタホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)
2008年〜持株会社化とBRONTO SKYLIFTの完全子会社化
- 三田工場の拡張で消防車の生産拠点を集約[2]
- モリタホールディングスに商号変更[1]
- 宮田工業を子会社化[1]
- 株式交換で宮田工業を完全子会社化[1]
- 宮田工業の自転車販売事業を新設分割しミヤタサイクルを設立[1]
- 本店を大阪市中央区に移転[1]
- 宮田工業とモリタ防災テックが合併しモリタ宮田工業に[1]
- BRONTO SKYLIFTを完全子会社化[1]
- ミヤタサイクルの全株式を美利達工業に譲渡[1]
- プライム市場に移行[1]
- 研究開発拠点「モリタATIセンター」を開設[1]
筆者所見
持株会社への移行は、取り込む事業と売却する事業を切り分ける仕組みだった。2009年8月に株式交換で宮田工業を完全子会社化し、2019年6月にはミヤタサイクルの全株式を美利達工業に譲渡した[1]。消火器の事業を内に抱えつつ自転車を外へ出した経緯は、防災への集中を一貫して優先した選択である。2016年1月のBRONTO SKYLIFTの完全子会社化で、海外の会社を傘下に収めた[1]。国内で積んだ事業の外へ、資本で足場を広げる段階へ移った。
- [1]モリタホールディングス 公式サイト「沿革」(2026年10月)