日野自動車の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

乗用車を持とうとして二度行き詰まり、二度とも大型車へ戻っている。1946年1月に平和産業への転換許可を受けるとトレーラートラックを発表し、1952年12月には床下エンジンのブルー・リボン号を公開した。乗用車への進出は1953年2月に調印したルノー公団との契約で始まり、1961年には自社設計のコンテッサを出す。しかし全国の販売網は商用車の使い手に向けて組まれており、乗用車の拡販は成立しなかった。1966年10月にトヨタ自動車工業と業務提携を締結し、翌1967年12月にコンテッサ後継の開発を中止して乗用車から撤退する。1972年のD号作戦で普通トラックの占有率35%を掲げ、1973年5月に首位へ立って1975年2月に35.3%へ達した。首位は38年続いて2010年代に途切れ、2022年3月にはエンジン認証データの改ざん公表と出荷停止に至る。

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