昭和飛行機工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

自社で設計した製品を、設立から一度も持たなかった。終戦で東京製作所は米軍に接収され、会社は軍の直轄下で各種自動車の完全分解修理と部品製造にあたった。1951年5月には第二会社の設立と九割減資で戦時の損失を清算し、会社存続の認可を得た。1952年7月に航空機と発動機の完全分解修理へ戻ったが、戻れたのは製造ではなく修理である。1960年1月に米ヘキセル社と金属ハニカムの技術援助契約を締結して製造を開始し、同年11月には日野自動車工業とトラック組立業務契約を締結した。1967年2月には西独スピッツァ社の技術で粉粒体バルク輸送車を作り、これがタンクローリーと並ぶ特装車事業になる。借りた技術と他社の車体で埋めた製造は請負の採算しか生まず、1976年7月に返還された飛行場跡地を分譲せず賃貸へ充てたことで、利益の出所は作る側から貸す側へ移った。

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