日産ディーゼル工業の決断社史:経営の意思決定を振り返る

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決断

輸入した技術を足場に、親会社と社名を替えながら自動車部門を守り抜いた会社である。1936年にクルップ社の特許と量産用の工作機械を一度に取り込んだ。1937年4月には第二日本デイゼル工業を合併して資本金を2,000万円へ増やし、その後に川口工場を建てている。1940年には資金の援け手を鐘紡に求め、1942年に資本金6,000万円で舶用機関とブルドーザーへ参入した。ところが終戦で軍需が消えたため、翌月には各工場を民需へ切り替え、1946年3月に民生産業と名乗った。さらに1949年11月には神根と市川の工場を閉じて設備を川口へ集め、同年12月に自社のリアエンジンバスを完成させた。この集約を経て、1950年5月の清算では自動車部門だけを資本金1億円の第二会社へ移している。

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