FOOD&LIFECOMPANIES兵庫県宝塚市・高司店での1皿100円均一の開始と均一価格業態への移行

時期 1996年9月
意思決定者(推定) 清水義雄 社長
論点 職人の店を母体とする多店舗化と価格訴求の両立
概要
1996年9月、株式会社すし太郎は1皿100円均一の第1号店となる高司店を兵庫県宝塚市に開いた。創業者の清水義雄氏は大阪市阿倍野の寿司屋『鯛すし』を営んでいた職人で、寿司屋を出自とする会社が価格訴求の業態へ自ら移る判断であった。
背景
1984年10月の設立から10年余りで、会社は1991年10月にフランチャイズ中心から直営店主体へ切り替え、往復ベルトコンベア方式の店舗を神戸市須磨区に開いていた。1995年12月には宝塚安倉店の隣接地に加工場を併設し、食材の仕込みを自社で抱える体制を整えている。
内容
当時の回転寿司は『安かろう悪かろう』の代名詞と見られており、第3代社長の豊崎賢一氏は後年その評価の低さを振り返っている。均一価格は恒常の業態となり、1999年8月の同名会社との合併、2000年12月の『株式会社あきんどスシロー』への商号変更が続いた。
含意
2001年9月に関東、2002年7月に中部へ店舗を広げ、2003年9月には東京証券取引所市場第二部へ上場した。1皿100円の値付けは2022年10月に改められ、1皿120〜150円(税込み)へ移っている。
筆者の見解

筆者見解

1996年の均一価格への移行を、低価格競争への追随とだけ読むのは、その前の数年の動きに合わない。すし太郎は5年前に直営店主体へ切り替え、前年には宝塚安倉店の隣に加工場を構えていた。値段を100円に固定するとは、原価の振れを店の側が引き受けるという意味であり、仕込みを自分の手に握っていない会社には選びにくい一手であった。清水義雄社長がその領域へ降りていけたのは、鯛すし以来の目利きと直営・自社加工の体制がそろっていたからだとみられる。

もっとも、100円という値付けが会社を守り続けたわけではない。1996年に始めた均一価格は2022年10月に終わり、円安と原材料価格の上昇の前で1皿120〜150円へ移っている。豊崎賢一氏の語った30期連続の増収も、値を据え置いたまま原価の上昇を吸収し続けた年月の裏返しでもあった。均一価格は競争の武器であると同時に、相場が動けば自ら畳まねばならない約束でもあったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

同じ問いに直面した会社

低価格で、競争するか1998年カチタス改正民事執行法を機に競売物件の中古住宅再生事業を立ち上げ主業の選択と仕入モデルの設計
1999年松井証券定額制手数料「ボックスレート」の導入と、当初案7割引から9割引への変更株式委託手数料の完全自由化への価格対応
1983年任天堂任天堂のファミリーコンピュータ発売と低価格・ソフト収益モデルへの転換家庭用ゲーム機への参入と収益モデルの設計
2011年さくらインターネット都市型を捨て、北海道石狩に郊外型の大規模データセンターを建てるデータセンターの立地と設備投資
1976年シチズン時計腕時計の心臓部であるムーブメントを他社へ売る外販に踏み切り量産で世界一を取った戦略ムーブメント外販による量産戦略
収益モデルを、作り替えるか2013年松井証券デイトレード限定「一日信用取引」の導入と、委託手数料に依存しない収益構造への移行手数料競争下の収益源とデイトレーダーの獲得
1996年九州旅客鉄道駅ビル・不動産・流通・介護へ広げた非鉄道事業の構築非鉄道事業の構築と収益構造の組み替え
1995年イオン郊外大型ショッピングセンターの本格展開とデベロッパー事業への多角化業態の主軸とデベロッパー事業
1998年東京建物SPC法施行直後の国内第1号登録取得と、不動産証券化・資産運用事業への進出不動産証券化への参入と資産運用事業の立ち上げ
1994年光通信携帯電話の売り切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立携帯電話小売への参入と収益モデルの設計
出典・参考
  • FOOD & LIFE COMPANIES 有価証券報告書【沿革】

免責事項およびポリシー