この判断の中心にあるのは、市場が消えた生産拠点を閉鎖する以外の道があるかという問いである。NTTの調達方針が変わり、主力製品が海外勢のルーターに置き換わった時点で、本庄工場を畳む判断には十分な合理性があった。実際に社内の多数はそちらを支持していた。それでも清水光一郎氏が持ち出したのは、設備や人員ではなく、交換機で積み上げた段取りという工程の技能であった。売る製品を失った工場に、他社の製品を作る仕事を持ち込めば技能は生き続ける——受託生産への転換は、資産ではなく能力の側から拠点の価値を測り直した試みだったとみられる。
ただし、能力を残すだけでは主力事業になりきらなかった。利益率5%という基準を満たすために配線板の工場を買い、その後も他社の工場を引き取って規模を積み上げている。買収がなければEMSは受託の下請けにとどまった可能性が高い。沖電気工業は1949年に会社を畳んで作り替え、1998年から10年かけて半導体を手放し、2010年代には工場を買い集めた。閉じるか、作り替えるか——同じ問いへの答えが判断ごとに違っている点に、この会社の事業構成が繰り返し組み替えられてきた理由がうかがえる。