この一連の判断の核心は、財務の危機への応急処置ではなく、成功を支えてきた仕組みそのものへ手を入れた点にある。戦後いち早く同族を脱した大成建設にとって、現場と子会社に権限を委ねる分権主義は、求心力の代わりに社員の自立心を引き出す独自の武器であった。だが好況期に力を発揮したその仕組みは、低成長と成熟市場では土地の過剰な保有や子会社の共食い、意思決定の遅さとして裏目に出た。強みと弱みが同じ根から生じるとき、経営はどこまで手を入れるべきか——大成建設の選択は、分権の基調を残しながら集権を加えるという、振り子を戻しすぎない調整であったと推察される。
請負業からの脱皮という掛け声も、組織図を描き替えるだけでは実を結びにくかった。設計を営業に組み込む造注の理念は明快でも、図面を引く技術者が客に提案して回る人材へ変わるには、日々の育成と意識改革が要る。佐古一会長が縦割りと横壁を繰り返し語ったのは、そのむずかしさの表れであった。規模を追うより、非同族という出自と分権という強みを、成熟した市場のどの事業構成で活かすか。大成建設が1970年代から1980年代にかけて問い続けたこの主題は、のちのバブル崩壊やリーマンショックのたびに、同じかたちで経営の前にあらわれることになる。