上場企業の経営論点>事業モデル転換
販路の転換
販路の転換は、商品の届け方より先に、価格を誰が決めるかを動かした。明治期の製造業は決定権を商社へ預けている。小野田セメントは1901年に三井物産と一手販売契約を結び、販売機能を自前で持たない道を選んだ。高度成長期に決定権はメーカーへ戻る。花王は1964年に販社制度を敷いて問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結んだ。同じ年、パナソニックは熱海会談で代理店との関係を組み直し、キユーピーは1972年に中島董商店の販売網を継承して半世紀続いた製販分離を解いている。産業財ではアマダの直接販売網、キーエンスの直販が高い粗利を生んだ。決定権はそこから売り場と買い手へ移る。資生堂は1997年に再販価格維持を撤廃し、価格を売り場へ委ねた。
財務諸表のどこを見るか
販売費及び一般管理費の内訳を数年並べる。問屋や代理店を外した企業は販売手数料が消える代わりに、人件費・荷造運賃・広告宣伝費が増える。直販へ移ると売上総利益率も販管費率も同時に上がるため、営業利益率だけを見ても転換は見えない。売上債権回転期間は、取引先が卸から小売・最終需要家へ移るにつれ長短が変わる。関係会社の状況で販売子会社の設立年と数を、主要な販売先の注記で特定の商社・量販店への依存度を確かめる。
2020年代
2010年代
2000年代
パルタックの完全子会社化 日用品卸最大手を株式交換で取り込む医薬・日用品の二本柱化 タイトーの完全子会社化 株式公開買付けによる完全取得と「100%保有戦略」の始動 ZOZOTOWNへ一本化 セレクトショップ17店舗の統合と、受託販売モールへの転換 ITCからABCマートへ改称 祖業である卸売を畳んでの小売専業への一本化と、業態そのものの転換 そばめしで冷凍食品へ集中 家庭用・業務用の調理冷凍食品への集中と、ライン直結の商品開発体制への移行 米ゴートンズ買収 1億7500万ドルで米国首位ブランドを買った前例なき北米進出 JASDAQ上場のEC先駆モデル インターネット受注に絞った法人向け販売モデルの確立 米Graingerと合弁設立 住友商事との共同出資で立ち上げた住商グレンジャーの設立 米エマーソン社ブランド取得 破綻した米社のブランド使用権を得て築くウォルマート専用の供給体制 家次恒のグローバル直販経営 血液検査・世界シェア3冠 卸型ビジネスからの転換 多角化事業の整理と自主管理売場への切り替え セブンドリーム・ドットコム設立 店舗網を電子商取引の受け渡し拠点へ転用する事業の立ち上げ 第一生命との包括提携 生保営業職員を通じた損害保険販売という新たな販路の獲得
1990年代
IBMとの提携で人材事業開始 端末は相手方、中身は自社という分担で始めた人材情報事業の立ち上げ 「新創業運動」の展開 料率自由化を前にした支店制への移行と代理店網の選別 再販価格維持の撤廃 定価を守る仕組みを捨て、価格決定を売り場に委ねる転換 都市型の深夜営業店へ転換 郊外型ディスカウントストアからの決別と深夜営業への賭け GOA車専用保険の開発 自動車メーカーの依頼に応じた、メーカー主導の商品設計の受け入れ 液体エキス専用工場建設 年商の7割にあたる75億円を投じた専用設備への集中投資 エヌエスケーナカニシの吸収合併 販売代理店の取り込みと社名変更による製造・販売の一社統合 滝崎武光の直販モデル確立 自社工場も代理店も持たない構造による高粗利モデルの確立 外交営業の否定 広告・電話営業への転換、株式保護預り手数料の無料化 オースティン拠点の直販化 海外販売の直販体制への全面転換 HITSHOP展開を開始 携帯電話の売切り制移行を機とした販売代理店事業への本格参入とコミッション収益モデルの確立 選択的流通システム導入 CI導入による転換と、小林コーセーからコーセーへの商号変更 伊藤忠オイルの営業権承継 グループ国内石油販売の一本化
1980年代
5チャネル体制の破綻 国内販売網の一挙拡大と、バブル崩壊で招いた行き詰まり 大東建託へ社名変更 土地活用を軸とする事業モデルの確立と、それを掲げた社名への刷新 訪問販売モデルの確立 通信自由化を機とした創業と、後の主力となる販売手法の設計 国内市場参入 輸出専業からの転換——製パン器とVTR 米ロイヤル社の子会社化 北米の事務機販売網を自前で持つための完全子会社化 オルビスの設立 通信販売の専業会社を別に立てることによる、販路の二本柱化 サークルケイ・ジャパン設立 専業会社を立てる形をとったコンビニエンスストア事業への参入 ハートファイナンス設立 都市銀行初となる消費者金融専門会社の設立と、取引先企業との提携ローンの導入 前橋に流通センター新設 「ヤマダモデル」の確立 雪国まいたけ設立 太もやしの過当競争を経ての量産参入 サンエブリーをデイリーヤマザキ化 自前のコンビニ網の構築による小売チャネルの内製化 ダイワボウ情報システム設立 繊維不況を抜け出す策としての新会社設立と、情報分野への進出 中国茶の独占輸入から缶入り化 無糖のウーロン飲料という新市場の開拓と、飲料業界への進出 IBM互換で国内首位に システムエンジニアを前面に立てた営業体制の構築と、その積み上げによる逆転
1970年代
積和不動産設立 石油危機下の需要創造——自社ローンと売り建て方式による受注確保 「エリエール」で家庭紙参入 ティシューペーパーを起点とした紙おむつ・ナプキンへの品目拡大 ヤンマーOEMから直販転換 OEM供給依存から竹内ブランドでの直接販売への転換 営業本部・4事業本部制移行 生産志向でつくられてきた事業部編成の解体と、市場を起点とする体制への組み替え 郊外ロードサイド店への転換 都心100店のうち60店の閉鎖と、駐車場付き 日本化路線の採用 外資の現地法人を国内企業と同等に位置づけて売り込む構え 中島董商店の販売網継承 半世紀続いた製販分離の解消と、売り先を自ら握る自社販売への切り替え カップヌードルの発売 発売を機に始まった、即席麺という商品そのものの再発明 販売子会社23社体制へ再編 代理店に委ねてきた流通の直接掌握と、首都圏販売の3系列への集約 大阪支社の開設 38%を握った兵庫に留まらず、主戦場を大阪へ移した三星堂の府外進出 マキタUSAの設立 欧州・オセアニア各国への販売子会社網の構築 中井・富士洋紙店合併 二社対等の立場での統合と、日本紙パルプ商事への商号変更
1960年代
プラスチック容器への転換 瓶の廃止と全国の原液工場の統合による、本社集権体制への移行 末端出荷主義へ転換 取扱品目を菓子30品種まで絞り込む減量経営への踏み切り 天田勇の直接販売網構築 代理店経由の販売からの離脱と直接販売網の構築 業務用製氷機への転換 ジュース自販機から直販販社網の構築 丸田芳郎の販社制度導入 販社制度の構築——問屋を外し、全国約27万件の小売と直接結ぶ流通改革 熱海会談で販売制度改革 「松下電器が悪かった」と非を認めることから始めた代理店との関係の作り直し 田鍋健氏が直販へ転換 販売と施工を自社で担う体制への切り替えと、高級化路線の採用 住友グループに加入 磐城セメントの企業集団入りと、住友セメントへの商号変更 リポビタンDの発売 20mlのアンプル剤から100mlのドリンク剤へ、飲み方ごとの作り替え 塩野孝太郎の独創品転換 導入品依存からの転換と、独創品開発に向けた新研究所の建設