1990年の営業権承継は、金額も公表されず、社名が変わったわけでもない。有価証券報告書の沿革に一行だけ残る種類の出来事である。それでも、この一行が意味するところは小さくないのだろう。製油所の製品を捌くために設けられた会社が、親会社の販売機能そのものを引き受ける側に立ったからである。以後の同社の歩みは、伊藤忠商事が抱える石油関連の機能を段階的に受け取っていく過程として読める。
商社の子会社にとって、親会社から機能を移されることは規模の拡大と引き換えに独立性を問われる出来事でもある。売上が1兆円を超えても、それが親会社の商流を通しているだけであれば、会社としての稼ぐ力が増したことにはならない。同社がのちに国際会計基準へ移り、売上ではなく利益で語られる会社へ体裁を改めていく背景には、この問いが横たわっていただろう。受け皿として生まれた会社が、どこまで自前の事業を積み上げられるか——1990年の一本化は、その問いが立ち上がる最初の判断であった。