パイロットコーポレーション3社共同の株式移転による持株会社の設立と、事業会社の吸収合併によるグループ一体化

時期 2002年1月
意思決定者(推定) 髙橋清 社長
論点 グループ各社の法人格と資本関係
概要
2001年12月に株式会社パイロットが東証・大証一部の上場を廃止し、2002年1月、同社とパイロットインキ株式会社・パイロットプレシジョン株式会社の3社が共同の株式移転により株式会社パイロットグループホールディングスを設立して両取引所の一部へ新規上場した。持株会社は1年半後に事業会社を吸収し、社名をパイロットコーポレーションへ改めた。
背景
同社は1950年にインキ事業をパイロットインキとして分離し、1960年に設立したミヅホ機工(後のパイロット機工、パイロットプレシジョン)を加えて3社が分立していた。1989年10月には商号から『萬年筆』を外して株式会社パイロットへ改め、1990年代は筆記具以外へ広げた事業の整理に費やされた。
内容
株式移転で設立された持株会社は当初、事業を持たない純粋持株会社であった。2003年7月に100%子会社の株式会社パイロットを吸収合併して事業持株会社となり、社名を株式会社パイロットコーポレーションへ改称した。2008年7月にはパイロットプレシジョンも吸収し、製造部門が本体へ戻った。
含意
吸収の対象とならなかったパイロットインキは別法人のまま残り、2021年7月に同社の玩具事業が会社分割で本体へ移った。連結売上高は再編に着手した2002年12月期の787億円から2007年12月期に839億円まで伸び、経常利益は25億円から74億円へ増えた。
筆者の見解

筆者見解

3社が共同で株式移転を行ったのは、本体・インキ・機工がそれぞれ独立した法人として半世紀を過ごしてきたからで、まず全員を同じ資本の傘に入れる手続きが要った。髙橋清社長は1年半後に株式会社パイロットを吸収し、社名をパイロットコーポレーションへ改めている。純粋持株会社は分立を終わらせるための通過点であり、狙いは事業会社への一本化にあったとみることができる。

もっとも、器を整えた直後の成績は芳しくなかった。2003年12月期の連結売上高は749億円と前期の787億円から減り、経常利益も25億円から18億円へ落ちている。法人格をまとめても売れる筆記具が増えるわけではない。それでも、製造会社を2008年に吸収し、インキ会社の玩具事業を2021年に引き取るまで20年近く同じ方向で手を入れ続けた。組織再編は一度の決断ではなく、長く同じ方向へ押し続けられるかで結果が分かれるといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

半世紀続いた3社分立

パイロットの法人が分かれたのは戦後の早い時期であった。1950年4月に名古屋インキ工場を母体としてパイロットインキを設立してインキ事業を外へ出し、1960年1月に設立したミヅホ機工が同年10月にパイロット機工へ改称して製造の一部を担った。本体・インキ・機工という三つの法人が並ぶ体制は、その後半世紀にわたって続いた[1]

上場していたのは本体だけであった。同社の株式は1961年10月に東京証券取引所市場第二部へ上場し、翌1962年8月に第一部へ指定替えとなり、同時に大阪市場第一部にも新規上場している。1989年10月には商号から『萬年筆』を外して株式会社パイロットへ改め、1990年代は筆記具の外へ広げた事業の整理に充てられた[2][3]

決断

3社が同時に子会社になる

2001年12月、株式会社パイロットは東京証券取引所と大阪証券取引所の市場第一部の上場を廃止した。40年近く続いた上場の取りやめであったが、事業をやめたわけではない。翌2002年1月、同社とパイロットインキ、パイロットプレシジョンの3社が共同で株式移転を行い、株式会社パイロットグループホールディングスを設立して、両取引所の第一部へ新規上場した[4]

採られたのは3社共同の株式移転で、設立された持株会社は事業を持たない純粋持株会社であった。既存の親子関係を組み替えるのではなく、3社の株主が同時に持株会社の株主となる手続きであり、分立していた法人の資本をひとつの上場会社の下へ集める形になった。同社は後年、この持株会社を純粋持株会社として設立したと説明している[5][6]

結果

1年半で畳まれた純粋持株会社

持株会社が純粋持株会社であった期間は1年半にとどまった。2003年7月、パイロットグループホールディングスは完全子会社である株式会社パイロットを吸収合併し、社名を株式会社パイロットコーポレーションへ改めた。事業を自ら営む事業持株会社への変更であり、上場会社と主力事業会社が二つに分かれた状態は解消された。2008年7月にはパイロットプレシジョンも吸収し、製造部門が本体へ戻った[7][8]

一連の再編で吸収されなかったのはパイロットインキであった。同社は別法人のまま残り、玩具事業が会社分割で本体へ移ったのは2021年7月である。連結業績は再編の途中で一度沈み、2002年12月期の売上高787億円・経常利益25億円が翌期は749億円・18億円まで下がった。その後は持ち直し、2007年12月期には売上高839億円・経常利益74億円・純利益39億円となった[9][10]

事実根拠:出所

同じ問いに直面した会社

株式を、上場するか2001年日鉄ソリューションズ本体エレクトロニクス・情報通信事業部の営業譲受によるIT機能の一社集約と、東証一部への上場分立していたIT機能の再集約と株式上場
2006年ポーラ・オルビスホールディングス純粋持株会社化と東証一部への直接上場グループ経営体制とブランド戦略
2013年東急不動産ホールディングス持株会社体制への移行と、東急不動産・東急コミュニティー・東急リバブル三社の一斉上場廃止グループ経営体制の再編と資本の集約
1991年SANKYO三共産業を存続会社とする吸収合併と、商号のSANKYOへの変更資本構成の整理と株式公開
2021年ビジョナル持株会社ビジョナルの設立と東証マザーズへの上場グループ経営体制への移行と株式公開
グループを、どの形で束ねるか2002年エディオンデオデオとエイデンの株式移転による持株会社エディオンの設立と三市場一部への上場業界再編と規模の確保
2003年博報堂DYホールディングス博報堂・大広・読売広告社の三社経営統合と共同持株会社 博報堂DYホールディングスの設立広告業界の再編とグループ経営体制
2004年GMOペイメントゲートウェイGMOグループ傘下入りと同業決済代行2社の連続譲受資本の帰属と事業規模の確保
2000年GMOインターネットグループ連結子会社を個別に上場させるグループ多重上場モデルの確立グループ経営と資本市場の使い方
2006年野村不動産ホールディングス独立した不動産持株会社の設立と東証一部上場資本構造と資金調達
出典・参考

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