エディオンデオデオとエイデンの株式移転による持株会社エディオンの設立と三市場一部への上場
商圏の重ならぬ地方の雄二社は、なぜ本拠地でなく東京に持株会社を置いて手を組んだか
- 概要
- 2002年3月29日、広島を地盤とするデオデオと名古屋を地盤とするエイデンが、株式移転の方法で完全親会社となる株式会社エディオンを資本金40億円で設立し、両社はその完全子会社となった。新会社は同月、東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所の各市場第一部に上場した。業界大手同士では初めての事業統合で、売上高4000億円超の業界3位が生まれた。
- 背景
- パソコン需要が伸びを欠くなか、最大手のコジマと2位のヤマダ電機が大型店の大量出店を加速し、家電量販の競争はエリア内の勝負から全国規模の淘汰戦へ広がっていた。中国・四国のデオデオと中部のエイデンは、いずれもサービスを重んじる企業文化を持ち、重ならない商圏で地歩を築いていた。
- 内容
- 両社は株式移転で共同持株会社を設け、仕入れの統合による取引条件の改善や、情報システムなど後方部門の共有をねらった。持株会社を両社の本拠地から離れた東京に置き、理念を共有できる他社が合流しやすい形をとって、地方の連合を全国連合へ育てる構想を掲げた。
- 含意
- 統合は西日本を面で押さえる布陣を生み、2005年のミドリ電化の取り込みで連結売上高7000億円規模の全国2位へつながった。もっとも、当初描いた全国連合の構想はギガスとの破談などで思うに任せず、3社の統合を確実に仕上げる現実路線へと寄っていった。
連合という選択の意味
この統合を、大手二社に押される地方の中堅同士が生き残りで身を寄せ合った守りの一手と読むだけでは、足りない部分が残る。両首脳は「一定の規模を確保しなければ生き残れない」という危機感を語る一方で、9兆円の市場の1割のシェアを掲げ、持株会社をあえて本拠地でなく東京に据えて他社の合流を促した。防御であると同時に、業界再編の主導権を先に握ろうとする攻めの布石でもあったとみることができる。淘汰は必至という読みのもとで、淘汰される側ではなく束ねる側に回ろうとしたところに、この判断の芯があった。
もっとも、束ねる側に回るという構想の大半は、描いたようには進まなかった。ギガスとの統合は2カ月で破れ、ボイスネットワークの共同発注はオリジナル商品の域を出ず、連合を全国へ広げる筋書きは3社統合を仕上げる現実へと縮んでいった。それでも、重ならない商圏を西日本で面として押さえた地歩が、ミドリ電化を加えた全国2位への足場になったことは動かない。手を広げる構想が思うに任せなくとも、最初に押さえた土台が後の規模を支えることはある――デオデオとエイデンの統合は、その一例として読むことができる。
Yutaka Sugiura, 2026年7月
背景
商圏の重ならない地方の雄
デオデオは広島を地盤に、安さと安心をひとまとめにして売る「サービス型小売業」を久保允誉社長のもとで育てた企業であった。1996年以降、九州のベスト電器と新興のヤマダ電機が大型店で攻め込み三つ巴の激戦地となった広島で、同社は修理やアフターサービスで差をつけ、市街地のシェアをむしろ高めた。久保社長は「10年前、大型店に進出されれば負けていた」と振り返りつつ、地域中核店を先んじて整えていた強みで応戦した[1]。
もう一方のエイデンは名古屋を地盤とする家電量販店で、安さ一辺倒ではなく修理や配送を重んじる企業文化を持っていた。この肌合いの近さが、のちに岡嶋昇一社長へ統合を決断させる一因になったとされる。岡嶋社長は業界団体である日本電気大型店協会の会長を務め、家電量販の淘汰と再編は避けられないという危機感を業界全体で共有する立場にあった。二社は同じ地方発の量販店でありながら、商圏が重ならない関係にあった[2]。
全国規模へ広がる淘汰戦
統合の背中を押したのは、市場そのものの変質であった。それまで量販市場を牽引してきたパソコン需要にブレーキがかかる一方、最大手のコジマと2位のヤマダ電機は大型店の大量出店を加速していた。エイデンの地盤である中部でも、1999年のコジマの名古屋市内進出以来、大手の出店が続いた。競争の場は、これまでのエリア内の勝負から全国規模の淘汰戦へと広がっていた[3]。
大型店を軸にした低価格と価格競争力で先行するコジマ・ヤマダに、地方の雄が単独の体力勝負で対するのは難しくなっていた。「一定の規模を確保しなければもはや生き残れない」という危機感を、両社の首脳は等しく抱いていた。仕入れを一本化して取引条件を改善し、情報システムなど後方部門を分け合って効率を高める――規模を束ねることでしか活路が開けないという読みが、二社を近づけた[4]。
決断
株式移転で生んだ業界3位
2002年3月29日、デオデオとエイデンは株式移転の方法で完全親会社となる株式会社エディオンを資本金40億円で設立し、両社はその完全子会社となった。新会社は同月、東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所の各市場第一部に上場した。業界大手同士では初めての事業統合であり、売上高4000億円超の業界3位が生まれた。中国・四国のデオデオと中部のエイデンが、重複しない商圏を面で押さえる布陣であった[5][6]。
統合には、規模の確保にとどまらず、業界再編の受け皿になるねらいがあった。両首脳は「理念を共有できるところは持株会社にぜひ参加してほしい」と明言し、成熟が早かった米国では淘汰の末に大手二社ほどしか生き残らなかった経緯を念頭に置いていた。持株会社を両社の本拠地から離れた東京に置いたのも、エリアの重ならない他社が合流しやすくするための計算であり、西日本を面で押さえたうえで他地域を他社に委ねる筋書きがそこにあった[7]。
結果
面で押さえた西日本と、全国2位への道
統合で生まれた連合は、規模を着々と足していった。設立初年度に連結2227億円だった売上高は、通期をならした第3期に4341億円へ伸び、2005年に関西2位のミドリ電化を株式交換で完全子会社化した第5期には7146億円へ達した。ミドリ電化を加えた3社体制は連結売上高でヤマダ電機に次ぐ全国2位へ躍り出て、地方の連合という当初の姿から、全国を見据える規模の企業へと形を変えた[8]。
もっとも、業界再編の受け皿になるという当初の構想は、そのままの形では実らなかった。2003年には中部地盤のギガスとの経営統合が方針の違いから2カ月で破談し、ギガスはケーズデンキ側へ移った。上新電機やデンコードーらと共同購入グループ「ボイスネットワーク」を立ち上げても、共同発注が及ぶのはオリジナル商品にとどまった。エイデン出身で副社長を務めた岡嶋昇一氏は、緩やかな連合を広げるより、まずデオデオ・エイデン・ミドリ電化の3社統合を確実に仕上げる現実路線を選んだ[9]。
- 証券アナリストジャーナル(1999年6月2日, 日本証券アナリスト協会)別冊付録「企業」デオデオ
- 週刊東洋経済 2000年11月11日号「[特集]広島の変容 家電戦争初戦は決着 デオデオ逆襲の野望」
- 週刊東洋経済 2001年5月19日号「風雲急 事業統合で先手 デオデオ、エイデンが追う家電量販"盟主"への野望」
- 週刊東洋経済 2004年8月7日・14日合併号「[特集]家電量販 メガ再編」
- エディオン 有価証券報告書 第5期(2006年3月期)【沿革】