1973年、山田昇氏が群馬県前橋市で『ヤマダ電化サービス』[1]を開業した。店舗面積はわずか8坪、夫婦2人で営む街の電気屋で、開業時から『創造と挑戦』というスローガンを掲げた。
1983年9月、チェーン本格展開のため株式会社ヤマダ電機を設立し、前橋南店を新設して群馬県内のチェーン展開を始めた。[2]翌1984年には群馬県前橋市朝倉町に物流センターを構え、北関東(群馬・高崎・茨城)の郊外ロードサイドに物流効率を起点とした多店舗展開モデルを確立した。[3]日本の家電量販は当時、第一家庭電機などの都市部の駅前型店舗と、メーカー系列の街の電気屋が並立する構造だった。第一家庭電機・ベスト電器など都市駅前型は商圏人口の密度に依存し、メーカー系列店は固定客の維持と新規開拓の二兎を追えない弱さがあった。商品調達は複数メーカーから一括で仕入れる方式とし、メーカー系列店のような価格固定の制約を受けない自由度の高い価格政策を取った。1989年には店頭登録(現JASDAQ)[4]を経て上場企業の仲間入りを果たし、地方発の中堅専門店として資本市場の評価を受ける立場となった。
1992年の大店法改正は、ヤマダ電機にとって全国展開を決断する転機となった。従来の大店法で課されていた小売店舗の出店規制が緩和され、地方の郊外幹線道路沿いに数百坪規模の量販店を立て続けに構えられる環境が整った。同社は同年に九州・宮崎県へ初進出し[5]、その後1995年に仙台市泉区で東北、1997年に愛知県日進市で中京、1998年に兵庫県姫路市で近畿へと、おおむね2年ごとに地域を埋めていく出店計画を組んだ。[6][7][8]北関東で固めた物流センター起点のモデルを、全国の各広域圏に水平展開する手法で、第一家庭電機・コジマ・ベスト電器など先行プレイヤーの足元を切り崩した。1990年代後半の家電量販業界は再編期に入り、量販各社の出店競争のなかでヤマダ電機は出店ペースとロードサイド型店舗運営の効率で頭一つ抜けた。
2001年9月に和歌山県発祥の和光電気と合弁会社『関西ヤマダ電機』[9]を設立して関西の地盤を補強し、2002年5月には神奈川県発祥の量販店ダイクマを買収して首都圏ロードサイドへの直接接続を強めた。[10]ダイクマは1971年創業の総合ディスカウントストアで、家電を含む生活雑貨の品揃えに強みを持ち、神奈川・東京を中心に40店舗超を展開していた。ヤマダ電機にとって、ダイクマ買収は単なる店舗数の取り込みではなく、首都圏ロードサイドにおいてライバルが既に整備した立地と顧客動線を一括で引き継ぐ意味があった。ダイクマ買収を担当したのは、後に2代目社長となる一宮忠男氏であった[11]。
2005年、ヤマダ電機は売上高1兆円を突破し[12]、家電量販店業界のみならず日本の専門量販店として初めて1兆円企業となった。1973年の8坪の街の電気屋から32年で1兆円に到達した経緯は、北関東の物流センター起点の効率モデルと大店法改正後の出店ペースで競合を引き離した結果である。1990年代後半に第一家庭電機が業績悪化で会社更生法を申請(1997年)、コジマがピーク後の停滞局面に入り、ベスト電器が九州地盤の維持に注力するなかで、ヤマダ電機だけが全国広域に出店を続ける構造となった。
2000年代後半から2010年代初頭の家電量販業界は、地上デジタル放送への移行に伴う薄型テレビ買い替え需要と、リーマンショック後の経済対策として導入された家電エコポイント制度の二段重ねで、業界全体が前例のない需要拡大を享受した。ヤマダ電機も2000年代後半に集中投資を継続し、2008年3月にユーロ建て転換社債を発行して資金調達基盤を強化[13]、2009年には池袋にLABI1日本総本店池袋を構えて都心型店舗への進出も果たした。[14]LABI業態は郊外ロードサイド型のテックランドと並ぶ都心型店舗として、ビックカメラ・ヨドバシカメラとの直接対決を志向した戦略的な業態だった。FY10(2011年3月期)には連結売上高2兆1,532億円、経常利益1,378億円を計上し、国内専門量販店として初めて売上2兆円を突破した。[15]同時期の連結従業員数は12,439名で、創業時8坪・夫婦2人の体制から半世紀弱で1万人規模の組織に拡大した。
しかしテレビ特需の反動は深刻だった。2011年時点のヤマダ電機の売上構成のうち、テレビ関連が約24%を占めており、地デジ移行が完了した2011年7月以降は買い替え需要が消失した。FY11(2012年3月期)の連結売上高は1兆8,355億円と2兆円割れ、FY12(2013年3月期)には1兆7,015億円と2期連続で減収となった。営業利益は2011年3月期の1,228億円から2012年3月期890億円へ減り、2013年3月期は経常利益で479億円まで落ち込んだ。当時の経営陣は2期連続減収の責任を取って全役員が降格処分となり、創業者の山田氏が2013年6月に社長へ復帰し[16]、現場主導の構造改革に着手した。売上の約24%をテレビ関連が占めた事業構造が、需要剥落の反動も強く受ける形となり、ヤマダ電機の経営は1990年代以降初めて持続的な減益局面に入った。
2011年、ヤマダ電機はスマートハウス[17]事業の本格展開を掲げ、住宅メーカーのエスバイエル(旧小堀住研、現ヤマダホームズ)を約74億円で子会社化する方針を発表した。[18]家電量販店が住宅事業に参入するという業態を超えた決断であり、当時の経営層内でも賛否が分かれた判断とされる。背景にあったのは、テレビ特需後の家電販売が中長期的に縮小する見通しと、太陽光発電・蓄電池・電気自動車・スマートメーターといった住宅と家電を統合する商材群の登場である。家電量販店として個別の家電を売る業態を、家屋ぐるみで生活インフラを提供する業態へ作り替える意図があり、住宅事業を起点に家電販売を再活性化する逆向きの戦略が組まれた。2018年10月には子会社3社の吸収合併でヤマダホームズ[19]が正式発足し、ヤマダ電機グループにおける住建セグメントの中核会社が形成された。
同時期、ヤマダ電機は競合再編にも踏み込んだ。2012年12月にはベスト電器(北部九州地盤)を買収し[20]、競合の九州地盤を直接取り込んだ。当時のヤマダ電機は店舗数で業界トップを既に確立しており、ベスト電器買収は売上規模の拡大よりも、九州における地場顧客と取引先網の引き継ぎを目的とした再編色の濃いM&Aだった。一方で、FY12(2013年3月期)の業績低迷で当時のヤマダ電機の役員全員が降格処分となり、2013年6月に山田氏が社長へ復帰[21]したのは、買収後のグループ統合と既存事業の収益改善を創業者直轄で進める必要があった事情を反映している。
2014年5月にはユーロ建て転換社債を再発行[22]して資金を確保し、2015年には不採算店舗の整理として、新規出店15に対して60店舗の閉店を決断した。出店ペースを成長エンジンとしてきたヤマダ電機にとって、出店数を上回る閉店は経営方針の転換を意味した。閉店の中心はテックランド業態の地方ロードサイド店で、近隣商圏の人口減少と競合店密度の上昇でロードサイド型店舗の収益性が低下していた。2016年5月にはヤマダファイナンスサービスを設立し[23]、家電販売から金融商品(保険・カード等)の取り扱いに事業範囲を広げた。同年4月にはダイクマ出身の桑野光正氏が4代目社長[24]に就いて構造改革を本格化させた。桑野氏は既存ビジネスの前年比100%確保を大命題とし、店舗運営における人の動かし方を改革の起点に据えて販売率改善に集中した。『FUNAI』ブランドを軸にメーカー製品の販売だけでなく、ヤマダ電機が販売の主導権を持つPB(プライベートブランド)・SPA(製造小売)の比率[25]を上げる方向への布石も打った。
2018年6月、桑野氏は就任から2年で社長を退き[26]、代表権のない取締役兼執行役員副会長へ移った。後任にはエディオン出身の三嶋恒夫氏が代表取締役社長として就任し、創業家以外からの登用が続いた。桑野氏の早期退任は、後継者育成が想定通りに進んでいない状況の表面化でもあった。[27]2018年・2019年の2期連続減益決算は、競合のビックカメラ・ヨドバシカメラが都心部の店舗で訪日需要を取り込む一方、郊外路面店を主力とする同社が構造的な不利を抱えていたことを示している。
2020年10月、ヤマダ電機は持株会社体制へ移行し、商号[28]をヤマダホールディングスへ変更した。同時にヤマダデンキ・ヤマダホームズなど11分社制を導入し[29]、各事業会社が独立採算で意思決定するグループ経営の枠組みを整えた。三嶋氏は社外から登用された経営者として、家電量販の中核事業のテコ入れと住建・金融・環境を含む新事業の統括を担う立場だったが、2018年6月の社長就任から3年余りを経た2021年9月、健康上の理由で社長を辞任した。[30]
2020年10月の11分社制導入は、家電量販店ヤマダ電機を『ヤマダデンキ』として相対化し、住建・金融・環境を含む生活インフラ複合企業へグループの自己定義を変える組織的な仕掛けだった。FY20(2021年3月期)の連結売上高は1兆7,525億円、デンキセグメント1兆5,033億円、住建セグメント1,757億円、環境セグメント139億円、金融セグメント15億円というセグメント構成が初めて開示され、家電が全体の86%を占めるなかで住建・環境・金融の3事業を将来の柱に据える方針が数字でも示された。FY20には大塚家具との業務提携・ヤマダ少額短期保険の子会社化[31]・スリーダムとの合弁会社『ソーシャルモビリティ』設立・レオハウスの子会社化など、生活インフラの周辺領域への買収・提携が同時並行で進んだ。
2021年には住宅廃材リサイクルの三久を子会社化し[32]、家守りホールディングス(不動産管理15万戸超)との資本業務提携も決まった。[33]同年、ヤマダHDはNEOBANK(銀行代理業)を始動し、金融セグメント内の6社統合を実行した。家電販売を本業とする会社が、住宅・不動産管理・小口金融・リサイクルを束ねる『くらしまるごと』グループへと事業領域を広げる流れが、3年弱で立て続けに具体化された。これらの提携・買収は単体では小規模だが、グループ全体としては、家電1事業依存から複数事業の組み合わせへと収益源を分散する構造変革の積み上げである。FY21(2022年3月期)には住建セグメントの売上が2,630億円・営業利益73億円となり、グループ営業利益657億円のうち約11%を住建が稼ぐ構造が初めて姿を現した。
住建セグメントの拡張と並行して、環境セグメントの体制整備も進んだ。2014年に米国ウェアハウザー社との提携で開始した安定的森林資源活用を起点に、2010年代後半から再生から最終処分までを自前で完結させるリサイクル投資が継続された。一方、デンキセグメントはFY21に売上1兆3,129億円・営業利益551億円と、コロナ禍の巣ごもり需要が剥落するなかでも前年比減収減益にとどめ、ヤマダ電機本体の事業継続性は保たれた。グループ全体の事業ポートフォリオは、デンキの売上比率が81%まで低下し、住建16%・環境1%・金融0.1%という構成へと移行した。家電量販の中核を抱えつつ、周辺事業を拡張する10年がかりの構造改革の成果が、FY21の決算数字で初めて視覚化された段階である。
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|---|---|---|---|---|
| 1973〜2011年8坪の街の電気屋から売上1兆円専門量販へ | 山田昇がヤマダ電化サービスを個人創業 | ★★ | ||
| ヤマダ電機を設立 | ★ | |||
| 山田昇 | ヤマダ電機を設立し前橋南店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 「ヤマダモデル」の確立とメーカー系列との対決 1973年に群馬県前橋市の街の電気屋として出発したヤマダ電機が、特定メーカーに縛られない混売店として自前の物流センターと全店POSを備え、安売りと郊外大型店の全国出店で家電量販の首位を固め、2005年に専門量販店として日本初の売上高1兆円へ届いた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 山田昇 | FC第一号店を出店 | ★ | ||
| 山田昇 | 本社ビル完工・大型総合家電店「テックランド本店」を開設 | ★★ | ||
| 山田昇 | 日本証券業協会東京地区協会に株式店頭登録 | ★ | ||
| 山田昇 | 九州地区第一号としてテックランド宮崎店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 東北地区第一号としてテックランド仙台泉店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 中京地区第一号としてテックランド日進店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 中国・四国地区第一号としてテックランド岡山店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 近畿地区第一号としてテックランド姫路店を開設 | ★ | ||
| 山田昇 | 東京証券取引所市場第一部に上場 | ★ | ||
| 山田昇 | ダイクマの株式を取得 | ★★ | ||
| 山田昇 | 専門量販店として初の年間売上高1兆円達成・全国出店達成 | ★ | ||
| 山田昇 | 初の都市型店舗LABI1なんばをオープン | ★ | ||
| 一宮忠男 | Project Whiteが九十九電機の事業を譲受 | ★ | ||
| 一宮忠男 | 住宅事業への参入と「くらしまるごと」への多角化 2011年、ヤマダ電機がプレハブ住宅メーカーのエス・バイ・エルを子会社化して住宅事業へ参入し、2020年のヒノキヤグループ取得と持株会社ヤマダホールディングスへの移行を経て、家電・住宅・家具・金融を束ねる『くらしまるごと』への多角化を進めた経営判断。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 2011〜2020年「家電だけでは食えない」事業転換と持株会社体制 | 一宮忠男 | ベスト電器の株式を取得 | ★★ | |
| 山田昇 | 46店の一斉閉店と構造改革 2015年、テレビ特需の反動と消費増税後の需要減で業績が急落したヤマダ電機が、郊外・地方の不採算店を中心に46店を一斉閉店して都市部と店舗効率へ絞り直し、翌2016年に創業家以外からダイクマ出身の桑野光正氏を社長に据えた構造改革。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 桑野光正 | 桑野光正氏が社長に就任 | ★ | ||
| 三嶋恒夫 | 大塚家具を子会社化 | ★★ | ||
| 三嶋恒夫 | 持株会社体制へ移行しヤマダHDに商号変更 | ★★ | ||
| 三嶋恒夫 | ヒノキヤグループを子会社化 | ★★★ | ||
| 2020〜2026年「くらしまるごと」戦略と新中計2,000億円構想 | 三嶋恒夫 | ヤマダデンキへ子会社7社を吸収合併 | ★ | |
| 山田昇 | 大塚家具の完全子会社化——父娘騒動で疲弊した名門家具の救済と取り込み 2021年6月9日、家電量販最大手のヤマダホールディングスが、51%超を保有する大塚家具を9月1日付で完全子会社化すると発表した経営判断。大塚家具は8月30日付で上場廃止となった。2019年12月に救済出資で子会社化してからわずか1年半での方針転換で、山田昇会長の主導により家具・住関連の取り込みを一段進めるものであった。 詳細を読む | ★★★ | ||
| 上野善紀 | エディオンとの経営統合による家電量販首位連合 2026年6月5日、家電量販首位のヤマダホールディングス(HD)は、同5位のエディオンと経営統合に向けて基本合意したと発表した。新たに持株会社を設立し、両社をその完全子会社とする方針で、2027年10月の統合完了を目指す。実現すれば新会社の売上規模は単純合算で約2.5兆円、店舗数は約1万店に達し、巨大な業界首位連合が生まれる。本稿の時点で統合はまだ完了していない。 詳細を読む | ★★★ |
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事実根拠:出所(ヤマダホールディングス)