1947年〜 広島と名古屋、二つの地方の雄が育てた「サービスで売る家電」
広島の第一産業からデオデオへの歩み
エディオンの最も古い源流は、1947年5月に故久保道正氏が広島市でラジオ部品類の卸売を主目的として設立した第一産業株式会社にさかのぼる。同社は1952年に卸売業から家電の総合小売業へ転換し、地元広島を地盤に店舗網を広げた。高度成長期の家電需要を追い風に成長し、1970年代後半には日経流通新聞の専門店調査で家電業界の首位に立った時期もあった。1986年に商号を株式会社ダイイチへ、さらに1997年には株式会社デオデオへと改め、店舗名も統一した。広島という一地方の商店から出発しながら、全国上位をうかがう規模まで駆け上がった点に、この企業の底力があらわれている。 [1][2]
- エディオン 有価証券報告書 第5期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1947年5月に久保道正が広島市でラジオ部品類の卸売を目的に第一産業を設立
- [2]第一産業は1986年に株式会社ダイイチ、1997年に株式会社デオデオへ商号変更
1990年代半ばの家電量販は、大規模店舗を武器にした新興ディスカウンターが地方の商圏を切り崩し始めた転換期にあった。当時のデオデオは500平方メートル以下の小型店が大半で、久保道正氏の後を継いだ久保允誉社長は、従来店の統廃合を軸に2000平方メートル級の地域中核店へ組み替える大手術を進めた。人口20万人の商圏ごとに中核店を置き、そのまわりに小規模店を配するドミナント戦略を敷いて、大型店の攻勢に耐えうる体制を築いた。あわせて発行したデオデオカードは1999年に会員150万人を超え、購買履歴に基づく顧客の囲い込みという、後のエディオンにつながる仕組みの原型となった。 [3][4]
- 証券アナリストジャーナル(1999年6月2日, 日本証券アナリスト協会)別冊付録「企業」デオデオ
- [3]久保允誉がデオデオ社長として地域中核店化とドミナント戦略を推進
- [4]デオデオカードの会員数は1999年に150万人を突破
- エディオン 有価証券報告書 第5期(2006年3月期)【沿革】
- [1]1947年5月に久保道正が広島市でラジオ部品類の卸売を目的に第一産業を設立
- [2]第一産業は1986年に株式会社ダイイチ、1997年に株式会社デオデオへ商号変更
- 証券アナリストジャーナル(1999年6月2日, 日本証券アナリスト協会)別冊付録「企業」デオデオ
- [3]久保允誉がデオデオ社長として地域中核店化とドミナント戦略を推進
- [4]デオデオカードの会員数は1999年に150万人を突破
名古屋の栄電社が築いた中部の地盤
もう一つの源流は、中部地方を地盤とする家電量販店エイデンである。同社は1955年7月に名古屋で株式会社栄電社として設立され、1965年には多治見橋店を支店1号として開き、チェーン展開へ乗り出した。1989年には店舗の屋号を栄電社からエイデンへ改め、1995年にはホームセンター事業のサカキヤと合併して株式会社エイデンサカキヤとなり、1998年に社名を株式会社エイデンへ戻している。愛知県を中心とする中部での存在感は厚く、岡嶋家が代を継いで経営にあたった。同じ地方発の量販店でありながら、広島のデオデオとは重なる商圏を持たなかった点が、のちの統合を後押しする土台となった。 [5][6]
- エディオン 有価証券報告書 第5期(2006年3月期)【沿革】
- [5]エイデンは1955年7月に名古屋で株式会社栄電社として設立
- [6]1995年にサカキヤと合併しエイデンサカキヤ、1998年に社名を株式会社エイデンへ変更
エイデンもまた、安さ一辺倒ではなく修理や配送といったサービスを重んじる企業文化を持っていた。この点でデオデオと肌合いが近かったことが、のちに岡嶋昇一社長へ統合を決断させる一因になったとされる。中部でも1999年に最大手のコジマが名古屋市内へ進出し、大型店の攻勢は年々強まっていた。岡嶋氏は業界団体である日本電気大型店協会の会長を務め、家電量販の淘汰と再編が避けられないという危機感を業界全体で共有する立場にあった。地方で築いた強い地盤を守るには単独での価格競争よりも規模の確保が要るという認識が、広島のデオデオと響き合った。 [7]
- 週刊東洋経済(2004年8月7日・14日合併号, 東洋経済新報社)
- [7]岡嶋昇一は日本電気大型店協会の会長を務め、サービス重視の企業文化がデオデオとの統合を後押しした
- エディオン 有価証券報告書 第5期(2006年3月期)【沿革】
- [5]エイデンは1955年7月に名古屋で株式会社栄電社として設立
- [6]1995年にサカキヤと合併しエイデンサカキヤ、1998年に社名を株式会社エイデンへ変更
- 週刊東洋経済(2004年8月7日・14日合併号, 東洋経済新報社)
- [7]岡嶋昇一は日本電気大型店協会の会長を務め、サービス重視の企業文化がデオデオとの統合を後押しした
広島家電戦争をサービスで守り抜く
1996年以降、広島の家電市場はデオデオの牙城に九州のベスト電器と新興のヤマダ電機が大型店で攻め込み、三つ巴の激戦地となった。開店セールの目玉商品に行列ができ、価格競争は熾烈をきわめたものの、デオデオは市街地のシェアをむしろ高めた。久保允誉社長は「10年前、大型店に進出されれば負けていた」と振り返りつつ、地域中核店の整備を先んじて終えていた強みで応戦した。低価格でも競合に見劣りしない水準まで値下げに踏み切る一方、修理やアフターサービスで差をつけ、価格だけでは崩れない顧客基盤を守り抜いた。 [8][9]
- 週刊東洋経済(2000年11月11日号, 東洋経済新報社)
- [8]1996年以降の広島でデオデオはベスト電器・ヤマダ電機と三つ巴の競争に直面
- [9]デオデオは競争下でも広島市54%・県内47%へシェアを高めた
この時期に久保允誉社長が磨いたのが、安さと安心をひとまとめにして売る「サービス型小売業」という発想である。買った家電が壊れれば即日修理に駆けつけ、引き受けた修理をメーカーに回さず自社でこなす比率を高く保つ。人件費はかさむが、その分を仕入れコストの引き下げで吸収するという考え方であった。パソコン需要をけん引役としてきた量販市場が成熟へ向かうなか、久保社長は価格勝負一辺倒では大手二社に体力で押し切られると見て、規模の確保と効率化を急ぐ必要を痛感していた。その危機感が、地方の雄同士が手を組むという次の一手を準備することになる。 [10]
- 週刊東洋経済(2004年8月7日・14日合併号, 東洋経済新報社)
- [10]久保允誉が安さと安心を組み合わせる「サービス型小売業」を確立
- 週刊東洋経済(2000年11月11日号, 東洋経済新報社)
- [8]1996年以降の広島でデオデオはベスト電器・ヤマダ電機と三つ巴の競争に直面
- [9]デオデオは競争下でも広島市54%・県内47%へシェアを高めた
- 週刊東洋経済(2004年8月7日・14日合併号, 東洋経済新報社)
- [10]久保允誉が安さと安心を組み合わせる「サービス型小売業」を確立