コジマの子会社化と「都市×郊外」の家電量販連合

都市の駅前で伸びたビックカメラは、なぜ売上首位から転落したコジマを傘下に収めたのか

更新:

時期 2012年5月
意思決定者 宮嶋宏幸 社長
論点 業界再編と店舗網の補完
概要
2012年、ビックカメラがコジマの第三者割当増資141億円を引き受けて議決権の50.06%を握り、子会社化した経営判断。ヤマダ電機に次ぐ売上高1兆円規模・業界2位の家電量販グループが生まれた。
背景
都市の駅前ターミナルに巨艦店を構えてきたビックカメラは郊外・地方の店舗網が手薄だった。一方のコジマは1998年に売上首位へ立ちながら、2002年にヤマダ電機へ逆転され、不採算店の閉鎖に追われていた。
内容
2012年5月に資本業務提携を結び、6月に増資を引き受けてコジマを子会社化した。都市型のビックカメラと郊外ロードサイド型のコジマで店舗網を補い合い、仕入れの統合でスケールメリットを狙った。
含意
首都圏シェア20%超・売上1兆円規模を得たが、統合効果は当初未知数とされた。コジマ再建を託された木村一義氏が2020年に親会社ビックカメラの社長へ招かれる流れにもつながった。
筆者の見解

自前出店ではなく、失速した同業を取り込むという選択

この判断の核心は、自力では作りにくい郊外・地方の店舗網を、増資の引受でまとめて手に入れた点にある。都市の駅前で伸びたビックカメラにとって、郊外ロードサイドへの新規出店を一から積み上げるには時間も資金もかかる。そこで、かつて売上首位に立ちながらヤマダ電機に敗れて資金を欲していたコジマへ141億円を注ぎ、経営権と店舗改革の原資を同時に渡した。競争で沈みかけた同業を取り込んで規模を作り、メーカーへの仕入れ交渉力を高める——再編による規模拡大に主眼を置いた買収であった。

統合効果は当初未知数と評されたが、この判断が残したものは店舗網だけではなかった。再建を託された木村一義氏が、8年後には親会社ビックカメラの社長へ招かれている。買収した相手の経営者が買い手の長に座る展開は、この一手が単なる店舗の取得にとどまらず、人と経営手法の取り込みでもあったことを示す。都市と郊外という異なる商圏を、規模と仕入れでどうつなぐか。家電量販がネット通販との競争に入っていく時期に、その問いを早く手元へ引き寄せた選択だったといえる。

Yutaka Sugiura, 2026年7月

背景

都市型で伸びたビックカメラと、失速したコジマ

ビックカメラは1980年の池袋店に始まり、カメラを核に家電・時計・パソコンまでを1店舗で束ねる総合店を、大都市の駅前ターミナルに構えて伸びた。2001年に有楽町店・なんば店・札幌店、2002年に新宿西口店と、乗降客の多い一等地へ大型店を相次いで開き、首都圏を軸に主要都市を押さえた。半面、その業態は郊外のロードサイドや地方の店舗網とは縁が薄く、車で来店する層をつかむ足場を欠いていた[1]

買収の相手となるコジマは、対照的な道を歩んできた。北関東を発祥とする郊外ロードサイド型のチェーンで、創業以来「安値日本一への挑戦」を掲げ、大量のチラシと一括仕入れによる低価格を武器に急拡大し、1998年には家電量販の売上高で業界首位へ立った。ところが2002年、大型店と安売りを組み合わせて攻めるヤマダ電機に首位を奪われる。以後はシェアを落とし続け、老朽化した小型店をかかえたまま不採算店の閉鎖を迫られていた[2][3]

特需の一巡という共通の逆風

2012年前後の家電量販は、そろって強い向かい風を受けていた。2011年7月の地上デジタル放送への完全移行に向けて膨らんだ薄型テレビの買い替え需要が一巡し、反動で販売が落ち込んだためである。ビックカメラの2012年8月期は連結売上高5,181億円・営業利益41億円と、前期の売上高6,121億円・営業利益199億円から減収減益に転じた。メーカーへの仕入れ交渉力を保つには、規模をさらに広げる必要が高まっていた[4]

決断

141億円の増資引受で議決権の過半を握る

2012年5月11日、ビックカメラはコジマとの資本業務提携を公表した。仕組みは、コジマが実施する第三者割当増資141億1800万円をビックカメラが引き受け、増資後の議決権の50.06%を握って子会社にする、というものであった。株式の買い集めではなく、資金を必要とするコジマの増資を引き受けて資本を入れ、経営権を取得しながら店舗改革の原資も同時に注ぐ組み立てである。手続きは同年6月に実行された[5]

狙いは、性格の異なる店舗網を組み合わせる補完にあった。都心の駅前を押さえるビックカメラと、郊外・地方のロードサイドに広がるコジマを束ねれば、都市から近郊までを一体でカバーできる。両社を合わせた売上高は1兆円規模となり、ヤマダ電機に次ぐ業界2位、首都圏の市場シェアは20%を超える水準に達する。宮嶋宏幸社長は統合の主眼を「仕入れの統合」に置き、量をまとめてメーカーと交渉するスケールメリットの追求を前面に掲げた[6][7]

結果

業界2位連合と、コジマ再建からの人材招聘

子会社化の翌2013年6月、コジマは2社の名を並べた「コジマ×ビックカメラ」の連名店1号店を開き、両ブランドの相互送客を目に見える形にした。もっとも、規模を足しただけで収益がどこまで改善するかは当初未知数とみられていた。実際に立て直しを担ったのは、コジマ側で会長兼社長を務めた木村一義氏である。木村氏はのちに、山積みの問題をかかえた組織を鍛え直したと振り返り、「強いコジマを復活させることができた」と語っている[8][9]

この関係は、8年後に思わぬ形で結実する。ビックカメラ本体が2期連続の減益に陥ると、宮嶋社長は再建の実績を上げた木村氏を親会社の社長に招いた。買収した相手の経営者が、買い手のトップへ座る15年ぶりの交代である。木村氏は招聘の経緯を「2期連続の減益が見込まれるということで、状況の改善を図るために宮嶋宏幸社長から声がかかりました」と明かした。新型コロナ下では、郊外店の多いコジマにかえって追い風が吹いたと述べ、都市偏重だった同社に郊外の足場を加えた効果が表れた[10][11]

出典・参考