ノジマ の歴史

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創業 1959年
創業者 野島絹代
創業地 神奈川県相模原市
創業
1959年8月、野島絹代氏が神奈川県相模原市で電化製品の販売を目的に野島電気工業社を創設した。1962年4月に有限会社野島電気商会を設立し、1982年6月に株式会社へ組織変更したのち、1991年4月に商号を株式会社ノジマへ改めている。1994年12月に日本証券業協会へ株式を店頭登録し、1995年からは修理・通信機器・パソコン販売の子会社を相次いで設立した。2003年6月には委員会等設置会社(現・指名委員会等設置会社)へ移行し、上場は2010年4月の大阪証券取引所JASDAQを経て、2016年6月に東京証券取引所市場第一部へ移っている。
決断
自社より売上の大きい相手を買収して、主力事業を入れ替えてきた。1990年代後半、価格と出店量で押す量販に正面から応じず、神奈川・東京へ出店域を絞り、販売員に売上ノルマを課さない接客で客層を分けている。2015年3月にアイ・ティー・エックスを取得して二つ目の収益源を立て、売上2,184億円の会社が売上2,573億円の相手を約850億円で取得した。2017年4月にはニフティを取得してインターネット接続を加え、2023年2月にコネクシオを854億円のTOBで完全子会社化している。2025年1月にはVAIOの株式93.2%を約111億円で取得し、他社の製品を売る流通の側から、製品を設計して作る側まで取り込んだ。
現況
家電より携帯電話の売場のほうが、売上でも利益でも大きい。2026年3月期の連結売上高は9,828億円、営業利益は581億円、親会社株主に帰属する当期純利益は389億円である。キャリアショップ運営事業が売上3,917億円・利益269億円、デジタル家電専門店運営事業が3,366億円・205億円で、通信の窓口が家電の売場を両方で上回っている。ほかにインターネット事業724億円、海外事業867億円、メディア事業248億円が並び、VAIOを加えたプロダクト事業は前期の175億円から650億円へ増えた。創業から56年を家電1事業で通した会社が、直近10年で7つの報告セグメントを持つ構成へ変わっている。
競合
家電の店舗数では及ばないまま、通信の窓口では最大級に並んだ。ヤマダ電機は1984年にヤマダモデルを確立し、メーカーが決めた値段を崩して家電量販の首位に立ち、2026年にはエディオンとの経営統合を決めている。エディオンは2002年にデオデオとエイデンの株式移転で持株会社を設立し、地域チェーンの統合で全国2位の規模を作った。ノジマは家電量販の規模では両社を下回ったまま、2015年のアイ・ティー・エックスと2023年のコネクシオでキャリアショップの運営を集約する側へ回っている。家電の売場で開いた規模の差を、通信キャリアの窓口を集める別の売場で埋めている。
ノジマ:長期業績の推移(売上高・利益率)売上高(億円純利益率(%)
2004年3月期2026年3月期

創業ストーリー 母から子へ──相模原の電器店から店頭登録まで35年 (1959年〜)

1959年の小さな店から始まった創業家事業

ノジマの起源は、1959年8月に野島絹代が神奈川県相模原市[1]に開いた『野島電気工業社』にある。創業者は男性ではなく主婦で[2]、長男・野島廣司は当時8歳の小学生に過ぎなかった[3]。廣司自身が店頭公開の直後に証券アナリスト向けの講演で、電化製品の販売を目的に相模原で創業したのは当時会長を務めていた自分の母だと説明している[4]。戦後の高度経済成長期、町の電器店が三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を地域に普及させる役割を担っていた時代の典型的な創業形態であった。創業者が女性であったことは、家電量販業界の創業期において男性中心が標準であった同時代の事例(ヤマダ電機・ビックカメラ等)と比べて際立つ特徴で、後年の野島廣司による『女性活躍』『女性取締役登用』の経営姿勢の原型がここに見える。

  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1959年8月 野島絹代が神奈川県相模原市に「野島電気工業社」を創業(家電販売)
    • [2]創業者は野島絹代(女性・主婦)
  • ノジマ 有価証券報告書(役員)
    • [3]長男・野島廣司は創業時8歳(廣司の生年は1951年1月12日=1959年時点で8歳と整合)
  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)
    • [4]野島廣司は1995年2月の講演で、1959年8月に電化製品の販売を目的に神奈川県相模原で野島電気工業社を創業したのは当時会長だった母・野島絹代だと述べた

1962年4月に有限会社野島電気商会として法人化し[5]、1982年6月には株式会社野島電気商会へ組織変更した[6]。廣司は後年、この株式会社への改組を契機に、時代の変化に対応するAVC(オーディオ・ビジュアル・コンピュータ)専門店へ業態を変えたと語っている[7]。コンポ・オーディオ・テレビ・ビデオ・パソコン・OA機器を主力商品に据え、神奈川・東京・埼玉の幹線ロードサイドに郊外型店舗を出す一方、駅前立地やビルテナントの都市型店舗にも着手した[8]。家電メーカー系列の販売店(パナショップ・ナショナル店等)が地域市場を分け合う構造のなか、ノジマは特定メーカー系列に属さない独立系の地場家電店として運営を続けた。創業の地・神奈川県という、東京都心と工業地帯の接点に立地したことは、首都圏家電量販店としての地理的優位となった。

  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [5]1962年4月 有限会社野島電気商会として法人化
    • [6]1982年6月 株式会社野島電気商会へ組織変更(株式会社化)
  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)
    • [7]1982年の株式会社改組を契機に、時代の変化に対応するAVC(オーディオ・ビジュアル・コンピュータ)専門店へ業態転換した
    • [8]AVC専門店として神奈川県・東京都・埼玉県の幹線ロードサイドに郊外型店舗を展開し、同時に駅前立地・ビルテナントの都市型店舗にも着手した

長男・廣司は1973年4月に有限会社野島電気商会へ入社した[9]。1978年8月に取締役となり、専務を経て1994年7月に代表取締役社長へ昇格した[10]。1991年4月には商号を『株式会社ノジマ』へ変更し[11]、現在まで続く社名となった。創業者・絹代から長男・廣司への事業承継は、1973年の入社から1994年の社長就任まで21年をかけた移行で、廣司は43歳で経営トップに就いた。家電量販業界には外部からの経営者招聘はほぼ存在せず、ヤマダ電機・ビックカメラ・ケーズホールディングス・エディオン等の同業大手も創業家もしくは生え抜きが社長を務める構造が共通する。ノジマも同じ系譜に属する。

  • ノジマ 有価証券報告書(役員)
    • [9]1973年4月 野島廣司が有限会社野島電気商会(現ノジマ)へ入社
    • [10]1978年8月 ノジマ取締役/1994年7月 ノジマ代表取締役社長に就任
  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [11]1991年4月 商号を「株式会社ノジマ」へ変更(現社名)
  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [1]1959年8月 野島絹代が神奈川県相模原市に「野島電気工業社」を創業(家電販売)
    • [2]創業者は野島絹代(女性・主婦)
    • [5]1962年4月 有限会社野島電気商会として法人化
    • [6]1982年6月 株式会社野島電気商会へ組織変更(株式会社化)
    • [11]1991年4月 商号を「株式会社ノジマ」へ変更(現社名)
  • ノジマ 有価証券報告書(役員)
    • [3]長男・野島廣司は創業時8歳(廣司の生年は1951年1月12日=1959年時点で8歳と整合)
    • [9]1973年4月 野島廣司が有限会社野島電気商会(現ノジマ)へ入社
    • [10]1978年8月 ノジマ取締役/1994年7月 ノジマ代表取締役社長に就任
  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)
    • [4]野島廣司は1995年2月の講演で、1959年8月に電化製品の販売を目的に神奈川県相模原で野島電気工業社を創業したのは当時会長だった母・野島絹代だと述べた
    • [7]1982年の株式会社改組を契機に、時代の変化に対応するAVC(オーディオ・ビジュアル・コンピュータ)専門店へ業態転換した
    • [8]AVC専門店として神奈川県・東京都・埼玉県の幹線ロードサイドに郊外型店舗を展開し、同時に駅前立地・ビルテナントの都市型店舗にも着手した

店頭登録と独立系家電量販としての地歩

1994年12月、ノジマは日本証券業協会に株式を店頭登録[12]した。社長就任からわずか半年後の資本市場アクセスであった。当時、家電量販業界はヤマダ電機(1988年公開)、コジマ(1995年公開)、ベスト電器(1980年代から上場)といった先行各社が郊外型店舗で全国展開を加速する局面にあり、地場の中堅家電店はメーカー系列に属するか独自路線で生き残るかの選別期にあった。野島廣司は独立系の路線を選択し、店頭登録による資本調達で店舗網拡張の足場を作った。創業家集中型の株主構造を維持したまま資本市場へアクセスする戦略は、後の指名委員会等設置会社移行(2003年)[13]・M&A連投と連動する経営の独立性確保の最初の事例となった。

  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1994年12月 日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [13]2003年に指名委員会等設置会社へ移行(本文の後段事実への伏線記述)

1998年2月にPC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立し[14]、PC事業への参入を始めた。2000年2月には通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立し[15]、通信・IT領域への進出を試みた。家電量販事業の中核を維持しつつ、PC・通信という当時の成長領域へ早期に染み出した点が、後の事業ポートフォリオ多角化へつながった。ただし1990年代末から2000年代初頭はM&Aには至らず、自前子会社による試験的な事業展開にとどまった。創業家経営の意思決定速度を生かす形でPC・通信といった隣接領域に試験出店した時期で、後年のM&Aによる外部企業取り込みとは異なる『内製による多角化』の局面が15年弱続いた。

  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [14]1998年2月 PC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立(PC事業参入)
    • [15]2000年2月 通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立
  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
    • [12]1994年12月 日本証券業協会に株式を店頭登録
    • [13]2003年に指名委員会等設置会社へ移行(本文の後段事実への伏線記述)
    • [14]1998年2月 PC販売会社・株式会社コンプジャパンを設立(PC事業参入)
    • [15]2000年2月 通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロン株式会社を設立

最初の正社員とPOS──町の電器店が量販へ変わるまで

業態の転換は道具の入れ替えを伴った。POSシステムを1982年にまず10店舗へ導入し、1987年に40店舗、1993年には150店舗へ広げ、単品管理による売れ筋予測とメンバーズカードによる顧客管理を全店で回した[16]。廣司はこの体制を『全員経営』と呼び、社員一人ひとりが経営者の立場で発想することを求め、既存の量販店が積極的に扱えない先端商品を自社の専門性で育てて地域シェア一位を狙うと説明した[17]。同業が『多部門・少機種・大量販売』を採るのに対し、ノジマは『少部門・多機種・集中販売』を独自の立ち位置とした[18]。全店の商圏人口は合計600万人程度、チラシは1回150万〜160万枚という小さな市場で密度を上げる商法であった[19]

  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)
    • [16]POSシステムを1982年に10店舗、1987年に40店舗、1993年に150店舗へ導入し、単品管理による売れ筋予測とメンバーズカードによる顧客管理・DM発送に活用した
    • [17]野島廣司は「全員経営」を掲げ、社員一人ひとりが経営者の立場で発想し、既存の家電専門量販店が積極的に扱えない先端商品を自社の専門性で育てて地域シェアNo.1を目指すと説明した
    • [18]同業他社の「多部門・少機種・大量販売」に対し、ノジマは「少部門・多機種・集中販売」という独自のスタンスを採った
    • [19]全店舗の商圏人口は合計600万人程度、宣伝チラシは1回150万〜160万枚と、小さな市場で精鋭化を図りマーケットシェアを確保した
  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)
    • [16]POSシステムを1982年に10店舗、1987年に40店舗、1993年に150店舗へ導入し、単品管理による売れ筋予測とメンバーズカードによる顧客管理・DM発送に活用した
    • [17]野島廣司は「全員経営」を掲げ、社員一人ひとりが経営者の立場で発想し、既存の家電専門量販店が積極的に扱えない先端商品を自社の専門性で育てて地域シェアNo.1を目指すと説明した
    • [18]同業他社の「多部門・少機種・大量販売」に対し、ノジマは「少部門・多機種・集中販売」という独自のスタンスを採った
    • [19]全店舗の商圏人口は合計600万人程度、宣伝チラシは1回150万〜160万枚と、小さな市場で精鋭化を図りマーケットシェアを確保した

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ノジマの沿革1959〜2025年における主な出来事を抜粋

時代年月社長・CEO出来事重要度
1959〜1994年母から子へ──相模原の電器店から店頭登録まで35年野島電気工業社を創設
野島電気商会を設立
野島電気商会に組織変更
ノジマに商号変更
野島廣司日本証券業協会に株式を店頭登録
1995〜2014年委員会等設置会社移行と東証一部、海外進出の助走20年野島廣司PC販売会社コンプジャパンを設立
野島廣司通信機器卸売・ITニューメディアシステム開発のソロンを設立
野島廣司委員会等設置会社に移行
野島廣司イーネット・ジャパンがヘラクレスに上場
三枝達実真電を吸収合併
野島廣司創業50周年を迎える
野島廣司大阪証券取引所JASDAQに上場
2015〜2025年アイ・ティー・エックスからコネクシオへ、6本柱への M&A 連投11年野島廣司携帯電話販売代理店アイ・ティー・エックスの買収と第二の柱づくり

2015年、家電量販のノジマが携帯電話販売代理店大手のアイ・ティー・エックス(ITX)を株式取得価額約513億円で連結子会社化し、家電の単線経営にキャリアショップ運営という第二の柱を据えた買収。

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★★★
野島廣司ニフティを子会社化★★
野島廣司Courts Asia Ltd.を任意的公開買付けで子会社化★★
野島廣司スルガ銀行の株式を追加取得し18.5%保有の筆頭株主に★★
野島廣司スルガ銀行との資本業務提携を解消★★
野島廣司マネースクエアHDを子会社化
野島廣司携帯販売大手コネクシオの854億円TOBによる完全子会社化

2022年12月、ノジマは子会社を通じて携帯電話販売代理店大手のコネクシオへ公開買付けを決定し、総額約854億円で完全子会社化した。買付価格は1株1,911円で、親会社の伊藤忠商事が全株を応募した。過去最大のM&Aとなった。

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★★★
野島廣司NJM1がVAIOを93.2%取得し子会社化★★
出典・参考
  • ノジマ 有価証券報告書 第63期(2025年3月期)【沿革】
  • ノジマ 有価証券報告書(役員)
  • 証券アナリストジャーナル 1995年2月号(33巻3号)別冊付録 ・野島廣司社長講演(平成7年2月1日・東京)

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