日本航空と日本エアシステムの経営統合
2002年成立国内2社の統合はなぜ実現し、国際線と国内線の補完で何を狙ったのか?
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- 概要
- 2002年、国内大手3社のうち日本航空と日本エアシステムが共同持株会社を設立して経営統合し、全日本空輸とほぼ拮抗する規模の航空グループが誕生した案件。
- 背景
- 混雑空港の発着枠制約でシェアが固定化されるなか、地方ローカル線中心で経営基盤の弱いJASと、国際線に強いJALが、ANAへの対抗とグローバル競争を見据えて結びついた。
- 内容
- 2001年11月に共同持株会社方式の統合を発表。公正取引委員会が競争制限の懸念を示し、羽田発着枠9便の返上や国内普通運賃の一律10%引き下げなどの問題解消措置を講じたうえで2002年4月に承認、10月2日に株式会社日本航空システムが発足した。
- 含意
- 国内線はANAとの実質2強体制に集約された。統合の社会的余剰は増えたとの推計がある一方、複占路線では運賃が上昇し、運賃引き下げ措置も早期に打ち切られたとされる。
「規模」だけでは埋まらないもの
この統合は、発着枠という制度の壁にシェアを縛られた市場で、規模の拡大によって1位企業に対抗しようとした試みであったとみられる。狙いどおり国内線はANAとほぼ拮抗する2強体制へと収れんし、グループは世界有数の旅客規模を手にした。しかし、規模の獲得が即座に収益力や利用者便益の向上を意味したわけではない。複占路線での運賃上昇や運賃引き下げ措置の早期打ち切り、統合後のシェア低下といった事実は、再編が市場全体の競争環境に及ぼす影響が一様ではないことを示しているといえる。
その後のJALが2010年に経営破綻へ至った経緯を踏まえれば、規模の統合と経営体質の改善は別の課題であったとも読める。異なる成り立ちをもつ2社を一つの組織へまとめる作業には、路線網やブランドの統合だけでなく、コスト構造や企業文化の調整という長い時間を要する課題が伴う。成立した統合であっても、その帰結を狙いどおりに引き寄せられるかは、発表後の統合作業そのものにかかっている――本件は、そうした視点を改めて思い起こさせる事例といえるだろう。
統合の背景
発着枠に縛られた国内市場とANAとの収益力格差
2000年代初頭の国内航空市場は、混雑空港の発着枠制約によってシェアが長く固定化された構造を抱えていた。国内線需要の7割強は羽田・伊丹の両空港に集中するが[1]、これらの混雑空港では発着枠が乏しく、各航空会社が自由に事業を広げる余地は極めて限られていた。かつての需給調整的な路線割り当ての影響も残り、全日本空輸・日本航空・日本エアシステムという大手3社のシェアは長期にわたって動きにくかったとされる。とりわけ羽田の発着路線ではANAの単独路線が3分の1以上を占め、競合路線でもANAが高いシェアを握っており[2]、JALとJASにとっては発着枠の壁が収益力の格差として表れていた。
当時の市場は、旅客人キロでみてANAが約半数のシェアを占め、残りをJALとJASが二分する構図にあった[3]。新規航空会社のシェアは合わせてもわずか数%にとどまり、ANAの独壇場ともいえる状況が続いていた。JALは国際線と国内の大規模幹線に強みをもつ一方、JASは旧東亜国内航空を前身とし、採算の取りにくい国内準幹線や地方ローカル線を主力としていたため、経営基盤は相対的に脆弱であったとされる。発着枠の制約が単独での路線網拡充を阻むなかで、両社が結びつけば単独では難しかったネットワークの充実を即時に実現できるという論理[4]が、統合の出発点に置かれていた。
統合の発端
共同持株会社方式での統合発表
統合が公になったのは2001年11月であった。日本航空と日本エアシステムは同年11月12日、共同持株会社を設立する方式での経営統合を発表する[5]。両社はこの統合を、世界の厳しい競争に耐えうる事業基盤の確立と、急成長が見込まれた東アジア航空市場への対応として位置づけた。国際線と国内幹線に強いJALと、国内ローカル線網をもつJASが一つの傘の下に入ることで、路線網の補完とネットワーク効果を狙う構図である。発表の場には、JALの兼子勲社長とJASの船曳寛眞社長が並んだと報じられている[6]。
両社は統合の社会的意義についても説明している。複数の競争者が有効な競争を行える程度の発着枠シェアをもち、互いを有効な対抗的競争者と認識せざるをえない競争環境を作り出すこと、すなわち国内線でネットワーク等において1位企業に対抗しうる企業を創出すること[7]にあるとした。統合会社はANAの有効な対抗者となり、運航ダイヤや運賃を含めた利用者便益の向上につながる、というのが当事者側の論理であった。もっとも、この主張は後の公正取引委員会の評価とは対照的なものとなる。
東急グループ再建と米同時テロが押した背中
両社が統合の発表にこぎ着けた道のりには、当事者だけでは説明しきれない外部の事情が働いていた。当時の日経ビジネスは、発表の記者会見が開かれたのは、ニューヨークでアメリカン航空機が墜落する数時間前のことだった[8]と伝えている。JASの経営基盤の弱さは、親会社である東京急行電鉄グループの再建問題と分かちがたく結びついていた。清水仁会長のもとで再建を急ぐ東急は、建設・不動産・百貨店の立て直しを優先しており[9]、電鉄事業とは相乗効果が薄いとされる航空事業の扱いが課題となっていた。金融コンサルタント会社が作成したとされる不良債権企業のリストには、東急建設や東急不動産の名前が挙がっていたと報じられ[10]、グループ再建は待ったなしの状況にあった。
そこに、米国の同時多発テロ事件の衝撃が加わった。テロ後の航空需要の低迷で経営効率化の加速を迫られた日航と、グループ再建を急ぐ東急の思惑が重なり[11]、統合には一気にスピードがついたとされる。日経ビジネスによれば、JASをめぐっては日航だけでなく全日本空輸も統合の道を探っていたが、これまでは労務問題などがネックとなって業界再編には至っていなかった[12]。今回は事情が異なり、統合計画が夕刊紙で報じられたことで正式発表の時期そのものも早まった[13]という。全日空が水面下で描いていた思惑とは逆の形で、日航との統合という結論が先に固まっていった。
統合の経過
公正取引委員会の懸念と問題解消措置
統合は、公正取引委員会の事前審査という難所を抜けねばならなかった。公取委は、統合計画が実施された場合には国内航空旅客運送事業分野における競争を実質的に制限するおそれがあるとの見解を示す。理由として、大手航空会社がJAL・JAS・ANAの3社から2社に減ることでこれまでも同調的であった運賃設定行動がさらに容易になること[14]、就航企業数が少ない路線ほど割引運賃の設定割合や割引率が低くなる傾向があること、混雑空港の発着枠制約で新規参入が困難なため新規参入が牽制力として期待できないこと[15]、その結果として価格交渉力をもたない一般消費者が大きな不利益を被ること、などを挙げた。
これに対しJALとJASは、追加的な問題解消措置を約束した。新規航空会社の路線参入を促すため、統合に伴って捻出される羽田発着枠の9便分を国土交通省に返上し、不足が生じる場合には上限3便を追加で返上するとした[16]。あわせて、国内線の普通運賃を主要な全路線で一律10%引き下げ、少なくとも3年間は値上げしないこと[17]、特定便割引や事前購入割引を競合路線の全便に設定することなども盛り込んだ。公取委はこれらの措置を踏まえ、統合計画の実施により国内航空運送分野における競争を実質的に制限することとはならないと考えられると判断し、2002年4月に統合を承認した[18]。
持株会社の発足と事業会社の再編
審査を通過した両社は、2002年10月2日に株式移転によって共同持株会社・株式会社日本航空システムを設立し[19]、その傘下に入った。発足したグループは、旅客数で世界有数の規模をもつメガキャリアとなり、国内線ではANAとほぼ拮抗する勢力が誕生する。統合後はブランドの一本化と事業会社の再編が段階的に進められ、2004年4月には国際線を担う日本航空インターナショナルと国内線を担う日本航空ジャパンに事業を整理し、同年6月には持株会社の商号を株式会社日本航空に改めた。
「存亡に関わる」――迎え撃つ全日空の反発
統合の審査が進む裏で、国内線首位の全日本空輸は激しく反発していた。日経ビジネスの取材に対し、全日空の役員は統合計画を「当社の存亡にも関わる事件だ」と語り[20]、計画が報じられた翌日の日曜日には緊急の役員会を招集した[21]という。全日空は公正取引委員会に反対を表明した上申書を提出し[22]、大橋洋治社長も、航空大手が3社から2社に減れば消費者の選択肢が狭まり、複数の会社が競い合うからこそ運賃が安くなるのだと主張した[23]。統合会社が有効な対抗者になるという当事者の説明とは正反対の見立てであり、後に公取委が示す競争制限の懸念を、ライバル企業がいち早く同じ論理で突きつけていたことになる。
大橋社長は同時に、統合が避けられないなかで危機を好機に変える構想も語っている。国内線で「早割」「超割」といった割引商品を先んじて投入してきた自負の裏に「おごり」があったと省み、過去を捨てて全日空を変えるよう説いた[24]。目玉は、社名の頭文字ANAの「A」を「オール・ニッポン」から「アジアン・ニッポン」、さらに「アジアン・ナショナル」へと読み替え、アジア域内で首位に立つ日本の航空会社を目指す[25]という宣言であった。真のライバルは日航ではなくシンガポール航空だとし[26]、国から手厚い支援を受ける同社と価格・コストで競うためにも、チャンギ空港で着陸料を無料とする一方、成田は世界最高水準の着陸料を課す[27]という競争条件の是正を政府に求めた。もっとも足場は盤石ではなく、国内幹線では全日空と統合会社の間に「1対2の大差」がつき[28]、国際線では新会社が8割を握るとされ[29]、規模の格差は覆いがたかった。
統合の帰結
2強体制への集約と運賃への影響
統合によって国内大手は実質的にJALグループとANAの2社に集約された。市場集中度をみると、合併を機にハーフィンダール指数(HHI)は0.5を超え[30]、協調的な価格行動を容易にするとされる複数市場での競合関係も合併を機にほぼ倍増したと分析されている。新たに誕生したJALのシェアは一時ANAを逆転したものの、その後は低下傾向を示した[31]とされ、地方路線を多く抱えたJAS由来の路線では搭乗率の低さも指摘された。統合の規模拡大が、ただちに収益力の向上には結びつかなかった面がうかがえる。
統合の経済的な評価は、研究によって光の当て方が分かれる。RIETIの定量分析では、合併によって国内線全体の社会的余剰は増加したと推計され、効率性の向上が認められた一方、合併前にJALとJASの2社しかいなかった複占路線では効率性向上を上回る競争減殺効果がみられ、運賃が上昇した[32]とされる。さらに、問題解消措置として予定された普通運賃の一律10%引き下げは、イラク戦争や新型肺炎(SARS)の影響もあって3年を待たずに打ち切られ[33]、その早期打ち切りが社会的余剰を押し下げたと評価されている。なお、当時懸念された合併後の共謀(カルテル)については、供給モデルの検定から否定されたとされる。
- 公正取引委員会(平成13年度:事例10)「日本航空(株)及び(株)日本エアシステムの持株会社の設立による事業統合」(平成14年4月23日)
- 石岡佑太・岡森康倫・深山剛「JAL・JAS 合併は何をもたらしたか?――航空運賃の実証分析」東京大学公共政策大学院ワーキング・ペーパー GraSPP-P-07-001(2007年3月)
- 土居直史・大橋弘「JAL-JAS合併に関する定量的評価」独立行政法人経済産業研究所(RIETI)ディスカッション・ペーパー(2015年8月)
- 日本経済新聞 2025年12月15日「航空自由化、流転の40年 JAL・JAS統合でしぼんだ改革」
- 「日経ビジネス」2001年11月19日号 No.1117「視界不良のJAL・JAS統合 東急再建とテロ事件で加速、適正競争に懸念も」(日経BP)
- 「日経ビジネス」2002年1月14日号 No.1124「大橋洋治・全日空社長がJAL/JAS対抗策を激白 ANAのAを『アジアのア』に!」(日経BP)