高木養根

日本航空・元取締役社長

Takagi Yasune(敬称略)

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社長就任 1981年6月
生年月日 —
学歴 東京帝国大学法学部
出自 —
社長就任までの出自
出自

1940年4月に大日本航空へ入社し、1945年の解散で退社したのち、1951年8月に日本航空へ入社した。1969年に専務取締役、1971年に取締役副社長へ進み、副社長のまま10年を過ごした。前任の朝田静夫氏が運輸事務次官から1963年に専務として入った官庁出身者だったのに対し、高木養根氏は創業期に入社した生え抜きである。

社長に選ばれた経緯
抜擢

1981年6月、10年間コンビを組んだ朝田静夫氏の後を継いで社長に就任した。就任前年度の1981年3月期は売上高6,544億円、経常利益44億円である。1979年に日本航空が運輸省へ求めたのは日航法の廃止ではなく、取締役の定数を18人から30人へ増やすことと社債発行枠の拡大だった。免許と保護を残したまま経営の自由度だけを広げるこの路線を、生え抜きに引き継がせる人事だったとみられる。

在任中の主な施策
施策

1983年、IATA統計で旅客・貨物の輸送実績が世界一となった。同じ1983年3月期の経常損失は270億9,300万円にのぼる。1985年4月の日米航空暫定協定で日米それぞれ3社が太平洋路線へ加わることが決まり、国際定期線を日本航空1社とする四五・四七体制は正面から崩れた。完全民営化の方針を役員会が決めた1985年8月12日の夕方、123便が御巣鷹山へ墜落して520人が死亡した。高木養根氏は町田直副社長とともに責任をとり、同年12月に山地進氏へ社長を譲って退任した。

在任の評価
評価

執筆予定

経歴 1969〜1985年
在任中の業績
就任前(FY80)6,544億円
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-
高木養根の経歴

高木養根の経歴社長就任に至るキャリア。就任年は有価証券報告書などの開示情報に基づく

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