- 登用
- 直近20年の社長は西松遙氏・大西賢氏・植木義晴氏・赤坂祐二氏・鳥取三津子氏の5人で、全員がグループ内で育った人材である。外部招聘は一度もない。2010年の破綻以降は整備・運航乗務・客室と、4代続けて現場部門の出身者が就いている。
- 任期
- 退任済みの直近3代は大西賢氏の2年、植木義晴氏の6年2か月、赤坂祐二氏の6年で、会社更生手続の期間を除けば6年が実質のサイクルである。就任はいずれも4月1日付、退任後は会長へ移る形が続き、年度と歩調を合わせた交代の型が定着しているように見える。
- 株主
- 支配株主も親会社もなく、上位は信託口が占める。1960年に大蔵大臣が59.6%を握った資本の系譜は、2010年の会社更生法適用に伴う100%減資で切れている。事業会社の最上位は再建を主導した稲盛和夫氏の出身企業である京セラで、1.74%にとどまる。
- 含意
- 社長を外から選ぶ主体が不在の会社であるように見える。指名委員会は任意機関で、諮問を受けて答申するまでが責務であり、決めるのは取締役会である。委員には現職の社長が入り、社外取締役は9人中3人にとどまる。後継の候補も現場を通った社内人材に絞られている。
1971〜1980年・10年/外部出身
1981〜1984年・4年/生え抜き
1985〜1989年・5年/外部出身
1990〜1994年・5年/生え抜き
1995〜1997年・3年/生え抜き
1998〜2003年・6年/生え抜き
2004〜2004年・1年/生え抜き
2005〜2008年・4年/生え抜き
2012〜2016年・5年/生え抜き
2017〜2022年・6年/生え抜き
鳥取三津子現任
2023年〜現在・4年/生え抜き
2009〜2011年は在任者の記録が無く、帯を空けている(有価証券報告書が揃わない期間)。
鳥取三津子
とっとり みつこ
生え抜き(1985年に旧日本エアシステム系へ入社)。客室乗務員出身
鳥取三津子氏は、航空事業への依存を薄める収益源の多様化に着手した社長である。1985年に旧日本エアシステム系へ客室乗務員として入社し、2024年4月に日本航空初の女性社長となった。掲げるのは非航空事業の利益比率50%であり、マイル経済圏の拡大とデジタルサービスを具体策に据える。一方で2024年5月に国土交通省から安全上の厳重注意を受け、「何といっても安全」と述べて足元の立て直しを最優先に置いている。
赤坂祐二
あかさか ゆうじ
生え抜き(1987年入社)。整備出身
赤坂祐二氏は、需要が消えた2年を財務の余力で受け止め、2度目の破綻を回避した社長である。整備部門出身として2018年6月に就任し、その2年後に新型コロナウイルスの流行で航空需要そのものが消失した。政府保証付き融資と資本市場からの調達で流動性を確保しながら、事業の作り替えは止めなかった。国際線中長距離LCCのZIPAIR Tokyoを2020年6月に貨物便、同年10月に旅客便で就航させ、春秋航空日本も子会社化してLCCの二枚看板を築いた。
植木義晴
うえき よしはる
生え抜き(1975年入社)。運航乗務(機長)出身
植木義晴氏は、稲盛和夫氏が持ち込んだ部門別採算の規律を崩さずに引き継いだ社長である。パイロット出身として2012年2月に就任し、同年9月に東京証券取引所市場第一部への再上場を果たした。会社更生手続の開始から2年8か月、時価総額は約6,900億円に達した。以後は更生計画のもとで絞り込んだ路線網を再び広げる局面に入り、コスト規律を保ったまま拡大へ舵を切った。稲盛時代がコスト構造の手術だったとすれば、植木氏の7年は、その手術で得た体力を落とさずに走れるかを問う期間だった。
西松遙
にしまつ はるか
生え抜き(1972年入社)。資金・調達系
新町敏行
しんまち としゆき
生え抜き(1965年入社)
兼子勲
かねこ いさお
生え抜き(1960年入社)。労務系
近藤晃
こんどう あきら
生え抜き(1957年入社)。海外支店・グループ会社系
利光松男
としみつ まつお
生え抜き(1951年入社・第一期生)。旅行開発・日航商事の社長を経て復帰
山地進
やまじ すすむ
運輸省出身(1985年に常勤顧問として入社)。総務事務次官
高木養根
たかぎ やすね
生え抜き(1951年入社)。大日本航空を経て創業期に入社した初の生え抜き社長
朝田静夫
あさだ しずお
運輸省出身(1963年に専務取締役として入社)。運輸事務次官