利光松男
日本航空・元取締役社長
社長就任までの出自
出自
1951年に日本航空へ入社した第一期生である。旅行開発と日航商事という系列会社の社長を歴任し、1985年12月に日航商事社長を退任して本体の副社長へ移った。この間、日本航空は1983年にIATA統計で旅客・貨物の輸送実績世界一となり、1987年まで5年間その座を保っている。系列を渡り歩いた生え抜きが、規模の頂点を過ぎた本体へ呼び戻された。
社長に選ばれた経緯
抜擢
1990年6月、山地進氏の後任として取締役社長に就任した。1989年度から1990年度にかけて円高が定着し、人件費の上昇と機材の相次ぐ導入で固定費が膨らんでいた。1970年と1991年を比べると輸送力は年率8.1%増に対し機材は年率2.2%増で、大型化で固定費を吸収する手は既に使い切っている。採算の分かれ目となる座席利用率は65%前後が健全な水準で、当時は70%を超えていた。運輸省出身の前任から、生え抜きへ社長を戻す人事だった。
在任中の主な施策
施策
1992年3月期に連結経常損失69億円を出すと、翌1993年3月期は連結経常損失557億円、当期純損失479億円まで赤字が広がった。国際線の旅客数は1992年9月から減り、収入の約6割を稼ぐ上位2クラスの利用者が前年同期比で10%以上減少した。利光氏がまず打ったのは単年度の止血で、賞与を抑え、投資と費用を圧縮した。1993年1月にはマイレージプログラムを導入した。ここから始まったコスト構造改革は単年度の収支を支えたが、路線網と労使の構造には届かなかった。
在任の評価
評価
執筆予定
経歴 1951〜1995年
在任中の業績
就任前-
退任時-
変化-
就任前-
退任時-
変化-